2025年4月2日水曜日

一人ですべてやる意味はあるの?

 どうも。最近、「そういえば…」と、Youtubeにあげたココロノユライの視聴データを見たのですが、大体の人が動画を94%まで(ほぼ最後まで)見ているとのことでした。Youtubeのおすすめが需要をピンポイントで突いており関心しています。時計塔プロジェクトの吉岡です。

 といいつつ、1か月ぶりにアナリティクスをみるくらい僕自身がそこまで数字に頓着しなくなりつつありますが、現代においてその感性はデメリットになりうるので難しいところだなと思ってます。ただ、そんな中で僕の作品を見てくれる方は、きっと同じ感性なのかなとも思ったり。
 難しい潮流ではありますが、僕自身は数字で感動を左右される人間にならないよう心掛けていきます(自戒)

 そんなわけで本題に行きましょう。


『一人ですべてやる意味はあるの?』

 変化の話かと思いきや前回のお話です。こういうパターンもあるぞ。備えていけ。
 時計塔プロジェクトをしていくにあたって、避けては通れない「一人」という要素。お手伝いさんすらいないガチソロプロジェクトを運営していくなかで、どういった理由で一人でやっているのか、また、どうやって成り立たせているかについて書いていければと思います。

 そもそもなんで一人で始めたかの経緯をさっくりお話すると、プロジェクト発足当時、組んでいたバンドが解散いたしまして、このあとの創作活動どうするかなと悩んだ結果、どうせ新しいことをするのであれば惜しみなくやりたいことをやってみようということで、ずっとやっていた音楽に加えて、空き時間に楽しんでいた小説とゲームを加えて始めたのがこのプロジェクトとなります。
 この三つは僕としては表現方法の違いでしかなかったのですが、いろんな人と話していくなかでこの感覚は理解してもらえないと薄々感づいていました。なので、バンドと違って簡単に協力してくれるような人は現れないだろうと思いつつ…いつかやっていれば一緒にやりたいと思ってくれる人がいるはず!と始めてそのまま今に至ります。なんでや。

   ・ ・ ・

 とはいえ、プロジェクトを一人でやっていくにあたって悪いことばかりではありません。一般的な部分に加えて、このプロジェクトにおける一人やるメリット・デメリットを挙げていきたいと思います。

 まずはメリット。これはどこでもそうだとは思いますが、やりたいことができるというのはやはり大きいです。時計塔プロジェクトを始めたのも前述の通り、やりたいことを惜しみなくやるためなので、それを叶えられるという点で一人なのは大きなメリットです。(一人でも叶えられることがやりたいこと、という点も大きい気がしますね)

 あとこれは自分でも助かるなとという部分ですが、スケジュールの自由度があるというのはなかなかのメリットかなと。
 僕はみなさん知っての通りプロジェクト外でもいろいろな草鞋を履いている関係もあって、スケジュール調整が針の穴を通すような時が多々あります。そんな激動のスケジュールでも隙間時間に制作をいれたり、逆にほかの締め切りが多いときは後回しにしたり等、世捨て人になりたい一方で社会性も捨てがたい僕にとって、このスケジュールの自由というのはとてもやりやすいメリットなのです。

 他に自分ならではの視点かなと思うものでいうと、納得いくまで作り直せるというのもメリットです。僕は自分の制作物は気に入らないと最初から作り直す癖があるので(コンペで作る楽曲とかも実はめっちゃ作り直して正解ににじり寄ってます)、個人ですべての工程をやるとなったときは、そこも自由にやり直せるのがめちゃくちゃいいところかなと。
 どちらかといえば僕はめっちゃ気遣いしいなので、人とやるとやり直したくても絶対に言えない気がしています。逆の立場だと、人のやりたいことに沿う形でやったのにやり直しって結構残念に思ってしまうなぁとも思うので、改めて難しいところだなぁと。

 やり直しについて書いててふと思い出したのですが、幼少の頃、おばあちゃん家においてあったレゴで家とか武器とか要塞みたいなものを作ったりしてたんですけど、下のいとこに結構壊されてたんですよね。でも僕としてはそれでも全然よくて、むしろその作品で得た積み方やつなぎ方を使って他のものを作りたいみたいな、強くてニューゲーム的な感じで新しいものを作るのが好きでした。きっとやり直し癖や自分の作ったもので得たものを使ってもっと良いものを作るみたいなマインドはここらへんからすでに培われていたのかもしれません。

 メリットが長くなってしまいました。他の細かいことは動画でお話してるのでそこで聴いてもらえると嬉しいです。

   ・ ・ ・

    続いてデメリット。これも誰もが思うことを最初に挙げますが、一つひとつの制作がとても重いということですね。どの工程も僕が担当するので、チームで400mリレーをやってるところに一人で乗り込んでるみたいなもので、なかなか無茶なことが多々あります。
 とはいえ、僕自身作業を圧縮したり省略することに余念がないこともあって、なんとか周回遅れにはならないくらいでなんとか食らいついています。少し前の話ですが、事務仕事を新人に教えたとき、吉岡さんのPC操作アクションゲーム並に早いですねと引かれたこともありました。その時は「おいおい…このスピードじゃないとここではやっていけないぜ?」などとは言えず「早くやってるフリしてるだけですよ」という謎の回答をしました。

 あとは、ここは一長一短な部分ではありますが、現状では金銭面でのデメリットも大きいです。このプロジェクトの収益は基本的にプラットフォーム周りの整理や配信サイト周り、サーバー維持などのランニングコスト系に優先的にあてがわせて頂いているのですが、この維持がなかなかどうして難しかったりするわけです。「現状維持とは常に少し進むことを意味」すると誰かが言っていた気がしますが言いえて妙とはこのことだなと。
 これに関しては、このプロジェクト自体のバランスも起因していますかね。自己の価値と社会的な価値とのシーソーゲームはどこにでも、誰にでもあると思いますが、こと時計塔プロジェクトに関しては自己の価値の比重がめっちゃ重いので…まぁ…ね、そういうことです。でも"吉岡大地"本人としてはしっかりとバランスをとっているのでご安心ください。お仕事頑張ってます。

 あともう一つデメリットをあげるとするならば、方針を間違ったときにすぐに止められない(気付けない)というのがデメリットかなと。雁首揃えた大人たちでも間違えることがあるんだから、一人だとなおさらやばい。客観的であろうとはしていますが、結局は主観の中での客観なので、もし「こいつやっとんなぁ…」となったらDMでもコメントでもテレパシーでも矢文でも伝書鳩でもいいので止めてください。
 とはいえ、時計塔プロジェクトはそもそもが「制作する作品」それ自体を指針にしているので、作品が変わるということは、僕自身の感性の変化も意味するので、そういった意味では性質的に方針が大きく変わることはないのかなとは思っています。

   ・ ・ ・

 そんなわけで、なぜ一人でやっているのかというところがなんとなく分かっていただけたかなと思います。まずデメリットを超えるメリットがあるのは言わずものがなですが、デメリットも工夫次第でなんとかなってるのも大きいのかなと思います。
 それは僕自身がそういう環境づくりを頑張っているところもありますが、これを見てくれているみなさんがとても寛容で、放任主義的にやらせてもらえているおかげもあるのかなと思っています。徐行運転でも待ってくれていてありがとうございます。

 一人で大変なこともありますが、だからこそここまで続いている側面もあるので、引き続き、自分を楽しませられる良い作品を作っていきたいと思います。

 それではまた、亡霊横丁のアトリエで会いましょう。

時計塔プロジェクト 吉岡
公式サイト( http://clocktower-project.com/ )
Twitter( @Clocktower_PJ )

2025年3月21日金曜日

亡霊横丁ってどこにあるの?

 どうも。毎年3月は多忙による長時間のデスクワーク&花粉症によるくしゃみのダブルコンボで腰が壊れて寝込むのですが、今年はくしゃみを我慢することで今のところ乗り切れてます。困難は根性で乗り切る脳筋派、時計塔プロジェクトの吉岡です。

 前回はブログのほうが書けませんでしたね。でもそういうときもあるでしょう。ブログとはそういうものです(非理論武装)
 あくまでこちらは配信、動画のおまけとしてお楽しみいただけると幸いです。

 さて、まえがきで長くなるわけにはいきませんので、早速本題に移りましょう。


『亡霊横丁ってどこにあるの?』

 ロストピアを公開したあと突如として始まったこの「亡霊横丁のアトリエ」という謎のコンテンツですが、僕の中ではある作品の中の場所という認識をずっと持っており、いつかここでなにかしたいと思っていた場所でもありました。
 始める前、亡霊横丁について事前に説明してから始めようかと悩んだのですが、当初は僕自身のUnityスキルもままならない状態で、映像は空と屋根とベランダの机を映すのが精一杯。これではどう説明しても伝わらないと結論付け、一旦諦めた記憶があります。
 そもそも、現実世界にいる"自分自身"が別世界へ赴き、そこでお話したり創作活動をしたりなんてのは様々な活動と呼ばれるものの文脈から逸脱した特異なものなのかなと思いつつ…。
 なので、自分の頭の中にあるものをみんなが知覚できる形にしてからじゃないと一つも伝わらないだろうなと考え今にいたります。今なら雰囲気くらいは伝わるはず…。

 ちなみに、ここでお伝えすることは僕がこの世界に行って見聞きしたものを報告しています。僕の主観的な解釈が混じっており、もしかすると実際のものとは違う可能性がございます。それだけご承知おきを…。

   ・ ・ ・

 まず、僕が配信や動画撮影をしている"世界"についてですが、この世界は「幽玄界」(ゆうげんかい)という名前です。
 幽玄というのは「奥深くて、はかり知れないこと。趣が深く味わいが尽きないこと」という意味で、まさしくそんな世界という印象を僕が持ったのでそう呼んでいます。

 幽玄界と現実世界がつながったのは、時計塔プロジェクトのサイトをゲーム化した『時計塔の街にて』という作品がきっかけになります。この作品は、時計塔プロジェクトの影響を色濃く受ける世界がもとから何処かにあり、数年前に『Walk alone』という作品を発表したことにより、それに強く影響を受けたこの世界が一人歩きをしはじめ、最終的に僕の元へつながりを求めてやってきて生まれた作品です。(これ動画で言い忘れてました)
 ちなみに『時計塔の街にて』の舞台になっている街は「刻都ノクヴェール」という名前です。刻都(こくと)は時間を刻むというところから来ています。ここは人の往来があるのですが、現状僕が幽玄界に持っていけるカメラの性能がしょぼく映せません。刻都ノクヴェールで撮影ができるようになるのも、もう少し先になるかと思われます。

 そして『亡霊横丁のアトリエ』をやっている「亡霊横丁」の場所ですが、刻都ノクヴェールの外れに旧市街がありまして、そこの一角が亡霊横丁となっています。名前の由来は、人っ子一人通らないので、ゴーストタウン的なニュアンスで亡霊横丁(GhostAlley)と呼ばれています。もともと別の名前だったらしいのですが、通称がそのまま場所名になってしまい、今では亡霊横丁が正式な名前となっているようです。住所表記も亡霊横丁ですが、細かいところは個人情報なので教えられません。

 そういった場所で、この『亡霊横丁のアトリエ』は撮影されています。時計塔プロジェクトが制作したものに影響を受ける世界なので、まだ映しきれていないどこかに作品の影響が出ているはずなのですが…。
 それは、今後色々な場所へいけるようになれば発見できるのではないかなと思っています。

   ・ ・ ・

 動画でも言いましたが、この幽玄界はいい意味で僕の手に余る世界になっていると感じています。時計塔プロジェクトの作品や世界が"深化"していくごとに、この世界にも変化が訪れ、深みが増していくのだろうと今からワクワクしています。
 とはいえ、今のところそれを観測し伝えられるのは僕しかいません。残念なことに現実世界が忙しくて幽玄界に入り浸ることができないのが現状。早く隠居(別世界)したいものです。
 そんなわけで、時計塔プロジェクトの作品同様、鈍行運転の世界ではございますが僕が観測すればするほど発見もあるかと思いますので、気長に楽しんだり、想像してもらえると嬉しいです。

 それでは、また次回。亡霊横丁のアトリエでお会いしましょう。

P.S.
 これは最近制作している弾き語り配信のスタジオ(アトリエの2F)です。儀式感がすごい。前の家の持ち主が放置してた物を掃除したり1階に移動してできたスペースを使ってます。

Camera1

Camera2

Movie(音は出ません)

 以上!本当のおまけでした!

時計塔プロジェクト 吉岡
公式サイト( http://clocktower-project.com/ )
Twitter( @Clocktower_PJ )

2025年3月6日木曜日

結果が出てないのになぜ続けるの?

 どうも。最近静電気は指先で受けるのではなく手のひらでガッと行けば痛みが分散されることを知り、時には勢いも大事なのだと教わりました。時計塔プロジェクトの吉岡です。

 先日『ココロノユライ』という楽曲を発表させていただきました。こちらは生配信でほぼ即興で作ったものを後日編曲して完成させました。毎回思うのですが、作曲配信は自分のメロディやコードの手癖がめっちゃでるので楽しくもあり恥ずかしくもあり…。そろそろみなさんも僕の楽曲の癖がわかってきたのではないでしょうか。

 そんなわけで本題いきましょう。今回のトークテーマは動画を撮ったあとに「今この話するのミスったかも…」と思いましたが、次の瞬間にはまぁいいかスイッチが入り「まぁいいか…」となりました。マジでこのスイッチ壊れとる。


『結果が出てないのになぜ続けるの?』

 一見、心ない人が僕に対して「このテーマで話せ」と言ってきたように捉えられてしまいそうなので予め言っておきますが、これは先日同じように音楽を生業にしようとしている知り合いと話したときにこういう話になり、その際に亡霊横丁のアトリエで話したら面白そうだなと思い選ばせていただきました。僕に対して一番心ない人間は僕なのかもしれません。

 さて、まずここでいう結果というのは、客観的に分かりやすいもの。ざっくりいえば「数字」ととらえていただいて大丈夫かと思います。販売数や金額、再生回数etc...世の中に作品を出す以上、僕らはこの数字が判断基準となり、それによって取捨選択されていきます。
 これが社会的な価値となり、多くの人に受け入れてもらえるキャッチーな要素にもなりうるわけです。

 ただこの種類の結果は正体が見えづらいのが非常にネックなところで、「得る努力をすれば必ず得られる」というものではありません。出したい結果が出ない、というのがデフォルトで、僕自身も思い通りに結果が出せたことは試行回数の1割にも満たないくらいです。つまりほぼ結果は出ていません。

   ・ ・ ・

 それでもなぜ続けるのか、という話ですが、一番最初に思いついた言葉通りに書きます。
 これはね、"馬鹿になっちゃってる"んですよね。上記のように実現するかも分からない、どれだけ人生を費やしても最後まで結果が出ないリスクのほうがむしろ大きい世界に飛び込むというのは、まともではないわけです。ましてやそこに身を置き、たくさんの理想や憧れが削ぎ落とされた状態でまだその世界にいられるのは正気の沙汰ではありません。合理性や利害の判断もまったくついていないガバガバな状態なわけです。
 ただ、そこにしかないものがあることも事実で、創作をすることでしか得られないものも間違いなくあります。それに脳を焼かれ、戻ってこれなくなった悲しき創作マシンが何を隠そう私、吉岡大地という男なのです。

 とまぁこれを答えにしてしまうとあまりにも乱暴なので、もう少しだけ掘り下げていくと、結果を結果と判断する基準として、その人自身がなにを求めているか、どんなハングリー精神を持っているかということが言えるのかと思います。
 結果って数字なんじゃないか、という話を先程したのですが、数字はどこまで行っても数字でしかなくて、結局はその数字で何を得たいのかが重要で、それがハングリー精神とつながっていくものなのだと思います。本当に求めているのは結果そのものじゃなくて、結果で得られるものなのかなと。

 人間である以上、その因果関係が逆転してしまうこともあって、それが結果が出ないことに対する苦しみの原因になりうるのかなとも思います。
 ただ、その結果で何が欲しいのかを考えてみると、意外と結果にこだわることが遠回りになってたり、それが自身の抱いているハングリー精神と乖離していることも往々にしてあります。
 つまり、本人が欲しいものを得られない結果は、結果ではなくなってしまうわけです。

 これは結果の悪魔的な部分でもあり、魅力的な部分でもあるのですが、"欲しいものが手に入らないという結果"を受け入れることを難しくしていたりもします。
 でも、続けたことによって最終的に欲しいものが手に入ったとき、今までの満足しなかった結果が全部チャラになる、結果というのはそんな魔法のような事象なわけです。話が複雑になってきたぞ。

 まぁざっくりとまとめると、欲しくない結果はどんなに惨憺たるものでも、素晴らしくても数字でしかなくて、本質的に自分が求めているものが手に入らないからこそ、それが続ける理由になりうる、ということですね。

   ・ ・ ・

 もし、自身の持つハングリー精神から開放されたいのであれば、手に入らなかった結果を受けいれ、離れることもいい判断なのだと思います。というか、そっちのほうが正常な判断です。何度改善しても何度挑戦しても叶う保証がない世界に幸せはほとんどありません。
 僕も離れていった人はたくさん見てきたけれど、みんな力が抜けてなんだかんだ幸せそうです。ずっと力が入りながら、心も体もごりごりに削って創作を続けている僕こそ不幸せなんじゃないかと思う瞬間もあります。実際、そういう部分も多いのだと思います。
 それでも、僕は幸福になりたくて創作をやっているわけではなくて、ただただ純粋に自分の心を打ち震わせる作品に出会いたくてやっているので、「まぁいいか…」って思ってます。やっぱり壊れとるこのスイッチ…。
 
 そんなわけで、結果が出てないのになぜ続けるの?というお話でした。
 今日も僕は自分が制作した作品に感動してうるっとしてしまいました。本当におめでたい生活を送っています。
 でも僕は、この感性を一生大事にしたいと思います。きっともっと心を震わせたいというハングリー精神があるかぎり、このプロジェクトは続くのでしょう。どんな結果になろうとも。

時計塔プロジェクト 吉岡
公式サイト( http://clocktower-project.com/ )
Twitter( @Clocktower_PJ )

2025年2月19日水曜日

作品が完成する条件とは?


 どうも。雪が降ったとき周りではしゃいでる人を「やれやれ…子供だな」という顔をして見ながら実は心の中で小躍りしています。時計塔プロジェクトの吉岡です。

 今回おそらくよく喋るだろうと踏んで短めに話したのですが40分を超えてしまいました。普段はあまり饒舌に話すことも少ないのですが、創作のことになると早口になります。僕は創作オタクなのかもしれません。

 それと、今回またサムネのレイアウトを変えてみました。結構この試行錯誤が好きで、MVや広報物の制作にも役立ったりします。より"それっぽい"ものが作れたとき、とてもやりがいを感じます。僕はミーハーなのかもしれません。

 さぁそんなわけで早速本題に入りましょう。


『作品が完成する条件とは?』

 完成、といっても人それぞれかと思います。僕は人に見せる上での最低限の完成(客観的な完成)と、自分が納得する完成(主観的な完成)の二種類があると思ってまして、前者は作品を中身以外でストレスなく楽しめる"品質"のようなもので、後者はクリエイターのこだわりやエゴの部分だと考えています。

 ブログのほうは長くなってもあれなので、今回書くのは主観的、つまり「クリエイターとしての完成の条件はなにか」というところをメインで書いていこうと思います。(客観的な話は動画にて…)

 さて、主観的な完成といっても一言では言い表せないくらいそれぞれの媒体ごとに違った完成があるのかなと思っています。

 まずは音楽の完成。これらはあくまでも時計塔プロジェクト内での完成という話になりますが、最初に結論を言ってしまうと"色"が一致したときに完成と思うことが多いです。
 この色というのはコードが持つ色、楽器の音が持つ色、声が持つ色、歌詞が持つ色 等…それ自体が持っている雰囲気や性質的な、なんとも形容しがたい感覚、僕独自の印象みたいなものがありまして、それを自分の中で"色"と呼称しています。
    例えば『青春はポップソーダ』という色があったとして、その色に合うコード進行はこれ、それに合うメロディはこれ、歌詞はこれ、アレンジは…といった感じで、あくまでも自分の感性の中でですが、青春はポップソーダ色を使って『青春はポップソーダ』を作り上げていくようなイメージです(伝われ)

 そして、これが厄介かつ面白いのは、色を組み合わせていくことで同じコードや言葉でも別の色に変わっていくことがあります。それを含めて作品の"色"を一致させることが完成の条件になるのかなと。

   ・ ・ ・

 次は小説の完成。これも結論から言ってしまうと、"読後感"が尾を引くものになったとき、完成したと思えます。作品が描く世界から戻れなくなるような感覚といいますか、行ったことはないけど興味がある国に想いを馳せるような、そんな感覚が近いのかもしれません。
 この読後感というものは、単純に長い時間同じ作品を読んでいれば一様に訪れるものなのかもしれませんが、より深い読後感を与えるためには、より深い没入感が必要になってきます。
 それは、世界観の作りこみだったり、キャラクターの動かし方だったり、いろいろな要素がかみ合ってその世界がこの世にあるような錯覚を覚えるからこそ生まれるものなのだと思います。

 自分の中でそれにつながるこだわりポイントとして、一行一行しっかりと意味を持って書くようにしておりまして、文章の展開における緩急やテンポ感はもちろんのこと、キャラクターの掛け合いの中でお互いにどんな思惑があるのか、どんな言葉を返してほしいのか、そんな相手の言葉を理解したうえで話すのか、すれ違わせるのか、世界観の説明は作品の文脈の中でできているか、キャラクターの容姿や性格は登場人物の言動の中で十分に表せているのかetc...上げれば本当にキリがないですが、一行ごとにしっかりとそこにその文章がある意味を考え、意味がないとなれば消すし、前後を入れ替えるべきだという選択を取ったりなど…またまた上げたらキリがないのですが、そういうふうにして少しずつ作品の本質を煮詰めて凝縮した果てに、上記のような読後感が尾を引く作品を作れることが多いのです。

 そうしてできた作品は、キャラクターの目を通して、キャラクターにとっての現実として描かれていく。そしてそれが、読者自身を誰もよりも近い物語の観客にしてくれるのかなと思うわけです。

   ・ ・ ・

 続いてゲーム。こちらは動画でも述べたのですが、ジャンルによって無限に広がってしまうので、短めに…。
 ゲームに関しては小説と遠からずではあるのですが、キャラクターと過ごした時間が思い出のように"体験"として残る、といったところでしょうか。

 例えばRPGの場合、主人公とプレイヤーは一蓮托生でいわばパートナーのような存在になるわけです。そのパートナーと一緒に冒険し、時には傷つき、時には協力して状況を打破していく。そしてゲームが終わる頃には違う国にいる友だちができたような、そんな風にキャラクターが心のなかに残っていくと一つ完成の目安になるのかなと思っています。

 あとは遊び心を心ゆくまでいれられた時ですかね。音楽、小説は僕のスタイルだと遊び心を入れてしまうと本編に強く影響してしまうので、ゲームという、プレイヤーが自由に進行を選択できるものであれば、めっちゃキャラクターに会話をさせたり、めっちゃ世界観深堀りしたり、強い道具と交換できるメダルを各地に散りばめたり等できるわけです。
 そういった風に自分自身が作品を作る側として遊び倒すことができれば、それも完成のピースになるのかなと思います。
 案外、こういった遊び心がキャラクターとの思い出にもなったりするのかなとも。

   ・ ・ ・

 そして最後に『時計塔プロジェクト』の完成について。
 これは書き始めておいてあれですが非常に難しい。僕がいなくなった瞬間なのかもしれないし。僕がいなくなっても将来このプロジェクトを継いでくれる奇特な人間が現れるかもしれないし。誰もやってないのに自立して歩き始めるかもしれないし。
 ただ、一つ言えるのは、僕自身が「もうこれ以上のものは作れない」という作品をこのプロジェクトで作り上げたとき、それが一つの区切りにはなるんじゃないかなとは思っています。
 それは一体いつなのか…。「ワシはまだ作れるぞい!」と言っている自分が頭をよぎりますが、そのときは温かく見守ってあげて欲しいです。

 とりあえず、今のところ終わる気配はないプロジェクトですのでどうか末永くお付き合いいただけますと幸いです。

 今回はこれにて。次回の亡霊横丁のアトリエもよろしくお願いします。ではまた。

時計塔プロジェクト 吉岡
公式サイト( http://clocktower-project.com/ )
Twitter( @Clocktower_PJ )

2025年2月12日水曜日

なんで創作の道に進んだの?

 どうも。先日働いているオフィスで鳥のさえずりが聞こえたので鳥入ってきた!?と思ってたら隣のデスクの人の着信音でした。「その発想はなかったわ」大賞差し上げました。時計塔プロジェクトの吉岡です。

 今回も動画にて撮影をさせていただきました。まぁ月1~2回しか決まった配信の時間がとれない、ってなるよりかは動画という形でも元気な姿を見せられたほうがよいかなと。
 ビデオレターかなにかだと思っている節があります。僕は元気です。

 それでは早速本題へいきましょう。


『なんで創作の道に進んだの?』

 創作の道、というざっくりとしたものに対して、僕は幼少期のころから漠然と「そういった道を進むんだろうなぁ」と謎に思っていました。作ったものを褒められた記憶も大してないし、これといった理由も思いつきませんが、その感覚がずっとあります。
 きっと前世の人はものづくりができないまま亡くなったのでしょう。亡霊横丁のアトリエ、タイトル回収です。ありがとうございました。(ブログは殆ど脊髄反射で書いてます)

 そんなわけで、自分の創作遍歴を振り返りつつ、どんな道を歩んできたのかを書いていきたいと思います。
 自分は文字を使った創作が得意だし好きなのですが、最初にやった創作らしい創作は実は漫画だったりします。
 小学校低学年くらいの時に姉が漫画を書いているのを見て「自分もやってみよう」と思ったことがきっかけで始めたもので、今思いだすとほとんどストーリーはなく、キャラが登場一コマ目で急に仲間になったり、空から降ってきて急に仲間になったり、敵っぽく出てきたけどキャラデザ気に入ったから仲間になったり、昨今発達しているAIよりも読めない展開の荒唐無稽なものでした。
 そして絵の練習はせずただただ書いていただけだったので画力も向上せず、小学校中高学年になったころには好きな漫画に影響を受け、設定や展開を引っ張ってきただけの写経のようなものも書いていました。
 とはいえ、僕はここで「自分の頭のなかにあるものを現実に起こす楽しさ」みたいなものを知っていった気がします。

 ここまで書いたところで少し話が逸れますが、そういえば小さい頃、フリーマーケットで買った手のひらサイズの小さなガンダム的な人形を使って一人人形劇みたいなことをやっていたことを思い出しました。
 当時演目という概念は自分にはなかったのですが、並行して進めているストーリーがいくつかあって、それによって人形の役割を変えたりして遊んでいた記憶があります。子供の頃はゲームや漫画をそこまで買ってもらえなかった少年だったので、「自分の欲しい物は自分で作る」というメンタリティはここで培われたのかもしれません。強く生きたな少年よ。

 話逸らしついでに、動画では言い忘れてましたが、小説とゲームは小~中学生らへんで興味がでてちょっとばかし手をだした記憶があります。どちらも完成はさせられなかったけど、制作するにあたっての素養みたいなものはこの時期に身についたような気がします。音楽より実は早い、小説執筆とゲーム制作。

   ・ ・ ・

 さて話を戻しまして、僕は中学生のころにようやく音楽に目覚めます。絶対音感はもう絶対に身につかない中学生からのスタートです。当時たまたま聞いたBUMP OF CHICKENから音楽と歌詞の素晴らしさに触れ、僕自身も歌詞を書いてみたい!と思い書き始めたのがきっかけだった気がします。
 この作詞も漫画と同じように好きなアーティストに影響を受けまくっていたのですが、比率はだいたい半分半分くらいで、アーティストが書いているテーマを自分の言葉で書きなおしてみる。みたいなことをしていました。

 そして、中学の終わりに叔父からアコギを譲ってもらって(今でも使ってます)、今度は作曲を始めます。高校に入ってから作詞していたものにメロディとコードをつけて"曲"という形にしていった時期ですね。ここらへんから明確に音楽の道を意識し始めました。
 しかし、当時僕は建築学科の工業高校に行っていたため、順当に行けば建築系の道へ進む予定だったのですが、選択授業でインテリアデザインを選び、そこで賞をとったことで僕の建築への道は"閉ざされ"ます。
 そうなんです。当時、選択授業で出したコンテストの中で歴代で一番いい賞をもらったはずなのですが、賞金がめっちゃ渋かったんです。お金じゃないだろ!と思うかもしれません。しかし、今は分かりませんが当時、建築系の職業の先行きが良くないかもよという噂も同時に耳にしておりまして、それが反映されたような賞金だったので、この道を歩むことへの不安が増大したんですね。
 で、僕の中で「音楽と建築どっちの道も不安定やんけ!」となり、どうせ失敗するならやりたいことやって失敗したほうがまだ納得いくと思い、音楽の道を選ぶことにしました。

   ・ ・ ・

 その後、専門学校に入った流れで組んだバンド、そして再起を掛けて始めたバンド、どちらも解散してしまい、次で駄目だったら別の道を探そうと思って始めたのがこの『時計塔プロジェクト』でした。始まるまで、ある意味では長かったですね。
 そして僕は、音楽一辺倒になっていた自身の創作に、少しずつかじっていた小説、ゲームを加えました。一人でやるぞと思ったら自然とそういう発想になっていて、すごく自分にフィットした気がしたのを覚えています。

 公開をしてみるとバンドとはまた少し違った手応えと反応をいただき「もう少しやっても大丈夫かも」と思いつつ、プロジェクトは今に至ります。
 とはいえ、このプロジェクトを安定して続けるためには、まず自分の生活を成り立たせなくてはなりません。なので、生活はもちろんのこと、自身の腕を上げるためにも音楽作家業の道も同時に模索しました。

 結局、生活がままならなければこのプロジェクトを続けるのは難しい。そんなことを思いながら作家業に挑戦するのですが、これがまたままならない。正直今もままなってないですが、当時のままならなさはそれはもう酷く、二年間ずっと休日も寝食も削りに削っても、箸にも棒にもかからず虚無の期間でした。

 当然生活はジリ貧になっていくわけですけど、これは本当に今でも運が良かったなと思うのですが、HPMPゴールドの底が見えてきたタイミングで楽曲が採用され始めたのです。当然、数曲決まっただけなのですぐにまたジリ貧になるのですが、「結局厳しいじゃん!」となった時にまた採用され始め…と、「もう終了!終わりだ終わり!」となった過去2回のタイミングをなんとか緊急回避をして今に至ります。

   ・ ・ ・

 自分の人生を振り返ってみた時に、別の道を歩もうかとよぎったタイミングで丁度別の道が閉ざされたり、創作の道が開けたりを繰り返し、気がつくとまだ創作の道を歩いていた。といった感じです。
 もうこれは僕を俯瞰している高次元の存在が僕を創作の道に歩ませているのではないかと思うくらいなのですが、その実、きっと僕が創作のことをずっと考えていて、そちらの道に進むことになんの抵抗もないからこそ、そこまで多くはない好機を見逃さないのかも、とも思ったり…。結局は進むべくして進んでいるのかもしれません。

 動画でも言いましたが、シンプルに答えると「そういう星の下に生まれたから」ということで片付けられるようなことをたっぷりと書かせていただきました。

 まだまだこの道は続くような気もしますが、その先に待っている景色はどんなもんなんでしょうね。楽しいといいなぁ。
 といったところで今回はこれにて。また次回も見ていただけると嬉しいです。それでは。

時計塔プロジェクト 吉岡
公式サイト( http://clocktower-project.com/ )
Twitter( @Clocktower_PJ )