2025年2月12日水曜日

なんで創作の道に進んだの?

 どうも。先日働いているオフィスで鳥のさえずりが聞こえたので鳥入ってきた!?と思ってたら隣のデスクの人の着信音でした。「その発想はなかったわ」大賞差し上げました。時計塔プロジェクトの吉岡です。

 今回も動画にて撮影をさせていただきました。まぁ月1~2回しか決まった配信の時間がとれない、ってなるよりかは動画という形でも元気な姿を見せられたほうがよいかなと。
 ビデオレターかなにかだと思っている節があります。僕は元気です。

 それでは早速本題へいきましょう。


『なんで創作の道に進んだの?』

 創作の道、というざっくりとしたものに対して、僕は幼少期のころから漠然と「そういった道を進むんだろうなぁ」と謎に思っていました。作ったものを褒められた記憶も大してないし、これといった理由も思いつきませんが、その感覚がずっとあります。
 きっと前世の人はものづくりができないまま亡くなったのでしょう。亡霊横丁のアトリエ、タイトル回収です。ありがとうございました。(ブログは殆ど脊髄反射で書いてます)

 そんなわけで、自分の創作遍歴を振り返りつつ、どんな道を歩んできたのかを書いていきたいと思います。
 自分は文字を使った創作が得意だし好きなのですが、最初にやった創作らしい創作は実は漫画だったりします。
 小学校低学年くらいの時に姉が漫画を書いているのを見て「自分もやってみよう」と思ったことがきっかけで始めたもので、今思いだすとほとんどストーリーはなく、キャラが登場一コマ目で急に仲間になったり、空から降ってきて急に仲間になったり、敵っぽく出てきたけどキャラデザ気に入ったから仲間になったり、昨今発達しているAIよりも読めない展開の荒唐無稽なものでした。
 そして絵の練習はせずただただ書いていただけだったので画力も向上せず、小学校中高学年になったころには好きな漫画に影響を受け、設定や展開を引っ張ってきただけの写経のようなものも書いていました。
 とはいえ、僕はここで「自分の頭のなかにあるものを現実に起こす楽しさ」みたいなものを知っていった気がします。

 ここまで書いたところで少し話が逸れますが、そういえば小さい頃、フリーマーケットで買った手のひらサイズの小さなガンダム的な人形を使って一人人形劇みたいなことをやっていたことを思い出しました。
 当時演目という概念は自分にはなかったのですが、並行して進めているストーリーがいくつかあって、それによって人形の役割を変えたりして遊んでいた記憶があります。子供の頃はゲームや漫画をそこまで買ってもらえなかった少年だったので、「自分の欲しい物は自分で作る」というメンタリティはここで培われたのかもしれません。強く生きたな少年よ。

 話逸らしついでに、動画では言い忘れてましたが、小説とゲームは小~中学生らへんで興味がでてちょっとばかし手をだした記憶があります。どちらも完成はさせられなかったけど、制作するにあたっての素養みたいなものはこの時期に身についたような気がします。音楽より実は早い、小説執筆とゲーム制作。

   ・ ・ ・

 さて話を戻しまして、僕は中学生のころにようやく音楽に目覚めます。絶対音感はもう絶対に身につかない中学生からのスタートです。当時たまたま聞いたBUMP OF CHICKENから音楽と歌詞の素晴らしさに触れ、僕自身も歌詞を書いてみたい!と思い書き始めたのがきっかけだった気がします。
 この作詞も漫画と同じように好きなアーティストに影響を受けまくっていたのですが、比率はだいたい半分半分くらいで、アーティストが書いているテーマを自分の言葉で書きなおしてみる。みたいなことをしていました。

 そして、中学の終わりに叔父からアコギを譲ってもらって(今でも使ってます)、今度は作曲を始めます。高校に入ってから作詞していたものにメロディとコードをつけて"曲"という形にしていった時期ですね。ここらへんから明確に音楽の道を意識し始めました。
 しかし、当時僕は建築学科の工業高校に行っていたため、順当に行けば建築系の道へ進む予定だったのですが、選択授業でインテリアデザインを選び、そこで賞をとったことで僕の建築への道は"閉ざされ"ます。
 そうなんです。当時、選択授業で出したコンテストの中で歴代で一番いい賞をもらったはずなのですが、賞金がめっちゃ渋かったんです。お金じゃないだろ!と思うかもしれません。しかし、今は分かりませんが当時、建築系の職業の先行きが良くないかもよという噂も同時に耳にしておりまして、それが反映されたような賞金だったので、この道を歩むことへの不安が増大したんですね。
 で、僕の中で「音楽と建築どっちの道も不安定やんけ!」となり、どうせ失敗するならやりたいことやって失敗したほうがまだ納得いくと思い、音楽の道を選ぶことにしました。

   ・ ・ ・

 その後、専門学校に入った流れで組んだバンド、そして再起を掛けて始めたバンド、どちらも解散してしまい、次で駄目だったら別の道を探そうと思って始めたのがこの『時計塔プロジェクト』でした。始まるまで、ある意味では長かったですね。
 そして僕は、音楽一辺倒になっていた自身の創作に、少しずつかじっていた小説、ゲームを加えました。一人でやるぞと思ったら自然とそういう発想になっていて、すごく自分にフィットした気がしたのを覚えています。

 公開をしてみるとバンドとはまた少し違った手応えと反応をいただき「もう少しやっても大丈夫かも」と思いつつ、プロジェクトは今に至ります。
 とはいえ、このプロジェクトを安定して続けるためには、まず自分の生活を成り立たせなくてはなりません。なので、生活はもちろんのこと、自身の腕を上げるためにも音楽作家業の道も同時に模索しました。

 結局、生活がままならなければこのプロジェクトを続けるのは難しい。そんなことを思いながら作家業に挑戦するのですが、これがまたままならない。正直今もままなってないですが、当時のままならなさはそれはもう酷く、二年間ずっと休日も寝食も削りに削っても、箸にも棒にもかからず虚無の期間でした。

 当然生活はジリ貧になっていくわけですけど、これは本当に今でも運が良かったなと思うのですが、HPMPゴールドの底が見えてきたタイミングで楽曲が採用され始めたのです。当然、数曲決まっただけなのですぐにまたジリ貧になるのですが、「結局厳しいじゃん!」となった時にまた採用され始め…と、「もう終了!終わりだ終わり!」となった過去2回のタイミングをなんとか緊急回避をして今に至ります。

   ・ ・ ・

 自分の人生を振り返ってみた時に、別の道を歩もうかとよぎったタイミングで丁度別の道が閉ざされたり、創作の道が開けたりを繰り返し、気がつくとまだ創作の道を歩いていた。といった感じです。
 もうこれは僕を俯瞰している高次元の存在が僕を創作の道に歩ませているのではないかと思うくらいなのですが、その実、きっと僕が創作のことをずっと考えていて、そちらの道に進むことになんの抵抗もないからこそ、そこまで多くはない好機を見逃さないのかも、とも思ったり…。結局は進むべくして進んでいるのかもしれません。

 動画でも言いましたが、シンプルに答えると「そういう星の下に生まれたから」ということで片付けられるようなことをたっぷりと書かせていただきました。

 まだまだこの道は続くような気もしますが、その先に待っている景色はどんなもんなんでしょうね。楽しいといいなぁ。
 といったところで今回はこれにて。また次回も見ていただけると嬉しいです。それでは。

時計塔プロジェクト 吉岡
公式サイト( http://clocktower-project.com/ )
Twitter( @Clocktower_PJ )