2025年3月6日木曜日

結果が出てないのになぜ続けるの?

 どうも。最近静電気は指先で受けるのではなく手のひらでガッと行けば痛みが分散されることを知り、時には勢いも大事なのだと教わりました。時計塔プロジェクトの吉岡です。

 先日『ココロノユライ』という楽曲を発表させていただきました。こちらは生配信でほぼ即興で作ったものを後日編曲して完成させました。毎回思うのですが、作曲配信は自分のメロディやコードの手癖がめっちゃでるので楽しくもあり恥ずかしくもあり…。そろそろみなさんも僕の楽曲の癖がわかってきたのではないでしょうか。

 そんなわけで本題いきましょう。今回のトークテーマは動画を撮ったあとに「今この話するのミスったかも…」と思いましたが、次の瞬間にはまぁいいかスイッチが入り「まぁいいか…」となりました。マジでこのスイッチ壊れとる。


『結果が出てないのになぜ続けるの?』

 一見、心ない人が僕に対して「このテーマで話せ」と言ってきたように捉えられてしまいそうなので予め言っておきますが、これは先日同じように音楽を生業にしようとしている知り合いと話したときにこういう話になり、その際に亡霊横丁のアトリエで話したら面白そうだなと思い選ばせていただきました。僕に対して一番心ない人間は僕なのかもしれません。

 さて、まずここでいう結果というのは、客観的に分かりやすいもの。ざっくりいえば「数字」ととらえていただいて大丈夫かと思います。販売数や金額、再生回数etc...世の中に作品を出す以上、僕らはこの数字が判断基準となり、それによって取捨選択されていきます。
 これが社会的な価値となり、多くの人に受け入れてもらえるキャッチーな要素にもなりうるわけです。

 ただこの種類の結果は正体が見えづらいのが非常にネックなところで、「得る努力をすれば必ず得られる」というものではありません。出したい結果が出ない、というのがデフォルトで、僕自身も思い通りに結果が出せたことは試行回数の1割にも満たないくらいです。つまりほぼ結果は出ていません。

   ・ ・ ・

 それでもなぜ続けるのか、という話ですが、一番最初に思いついた言葉通りに書きます。
 これはね、"馬鹿になっちゃってる"んですよね。上記のように実現するかも分からない、どれだけ人生を費やしても最後まで結果が出ないリスクのほうがむしろ大きい世界に飛び込むというのは、まともではないわけです。ましてやそこに身を置き、たくさんの理想や憧れが削ぎ落とされた状態でまだその世界にいられるのは正気の沙汰ではありません。合理性や利害の判断もまったくついていないガバガバな状態なわけです。
 ただ、そこにしかないものがあることも事実で、創作をすることでしか得られないものも間違いなくあります。それに脳を焼かれ、戻ってこれなくなった悲しき創作マシンが何を隠そう私、吉岡大地という男なのです。

 とまぁこれを答えにしてしまうとあまりにも乱暴なので、もう少しだけ掘り下げていくと、結果を結果と判断する基準として、その人自身がなにを求めているか、どんなハングリー精神を持っているかということが言えるのかと思います。
 結果って数字なんじゃないか、という話を先程したのですが、数字はどこまで行っても数字でしかなくて、結局はその数字で何を得たいのかが重要で、それがハングリー精神とつながっていくものなのだと思います。本当に求めているのは結果そのものじゃなくて、結果で得られるものなのかなと。

 人間である以上、その因果関係が逆転してしまうこともあって、それが結果が出ないことに対する苦しみの原因になりうるのかなとも思います。
 ただ、その結果で何が欲しいのかを考えてみると、意外と結果にこだわることが遠回りになってたり、それが自身の抱いているハングリー精神と乖離していることも往々にしてあります。
 つまり、本人が欲しいものを得られない結果は、結果ではなくなってしまうわけです。

 これは結果の悪魔的な部分でもあり、魅力的な部分でもあるのですが、"欲しいものが手に入らないという結果"を受け入れることを難しくしていたりもします。
 でも、続けたことによって最終的に欲しいものが手に入ったとき、今までの満足しなかった結果が全部チャラになる、結果というのはそんな魔法のような事象なわけです。話が複雑になってきたぞ。

 まぁざっくりとまとめると、欲しくない結果はどんなに惨憺たるものでも、素晴らしくても数字でしかなくて、本質的に自分が求めているものが手に入らないからこそ、それが続ける理由になりうる、ということですね。

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 もし、自身の持つハングリー精神から開放されたいのであれば、手に入らなかった結果を受けいれ、離れることもいい判断なのだと思います。というか、そっちのほうが正常な判断です。何度改善しても何度挑戦しても叶う保証がない世界に幸せはほとんどありません。
 僕も離れていった人はたくさん見てきたけれど、みんな力が抜けてなんだかんだ幸せそうです。ずっと力が入りながら、心も体もごりごりに削って創作を続けている僕こそ不幸せなんじゃないかと思う瞬間もあります。実際、そういう部分も多いのだと思います。
 それでも、僕は幸福になりたくて創作をやっているわけではなくて、ただただ純粋に自分の心を打ち震わせる作品に出会いたくてやっているので、「まぁいいか…」って思ってます。やっぱり壊れとるこのスイッチ…。
 
 そんなわけで、結果が出てないのになぜ続けるの?というお話でした。
 今日も僕は自分が制作した作品に感動してうるっとしてしまいました。本当におめでたい生活を送っています。
 でも僕は、この感性を一生大事にしたいと思います。きっともっと心を震わせたいというハングリー精神があるかぎり、このプロジェクトは続くのでしょう。どんな結果になろうとも。

時計塔プロジェクト 吉岡
公式サイト( http://clocktower-project.com/ )
Twitter( @Clocktower_PJ )