どうも。最近、括弧は半角()派から全角()派に変わろうとしています。目玉焼きはしょうゆ派一択。時計塔プロジェクトの吉岡です。
今回の『亡霊横丁のアトリエ』は久々(始めたてのとき以来)の動画での更新となりました。
編集時に収録した動画を確認しながら、最初の動画よりも圧倒的に自分の理想に近づいたものが出来上がっていて、一人で感動しておりました。度々配信で言っていたマイナーチェンジを繰り返しつつ、どこかのタイミングでそれらが刷新されて…というのを繰り返してきた一つの結果なのかなとも思いました。やっぱ継続が一番強ぇ。
引き続きこのアトリエで遊びつつ、自身の作品の話をしつつ、創作を見せつつやっていきたいなと思っております。『亡霊横丁のアトリエ』はまだまだ進化形態を残しておるぞ。
はい。さっそく本題に移りましょう。
『創作のモチベーションとインスピレーションを維持しつづけるには?』
あらかじめお伝えしますが、How to 的なお話というより、ずっと創作を続けていたやつがどうしてここまでモチベーション高く制作をし続けられたのかという一つのケースとしてのお話になるのかなと思っています。あくまで参考程度にしていただければ。
とはいえ、自分自身もどうしてモチベーションが続くのかしっかりと考えたことはなかったので、自分のスタンスを再確認しつつ、今後のモチベーション維持につなげていきたいなと思っています。多分今回は真面目なお話です。
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まず、自分は自発的モチベーションと環境的モチベーションの二種類を持ち合わせています。
自発的は世間一般で言われているようなモチベーションに近いニュアンスで、自分のやりたいこと、成し遂げたいことみたいな意味合いになります。時計塔プロジェクトは自発的モチベーションの権化って感じです。
環境的は単純に自分主導ではない、周りに引っ張ってもらう形のモチベーションになります。依頼されたもの等、主にお仕事関係のニュアンスで理解していただくのが良いかなと。
動画ではこれを「やりたいこと以外」みたいな意味合いで「やりたくないこと」と表現をしておりますが、厳密にいうと「やらなくちゃいけないこと」という文脈で表現いたしました。これは自分の仕事観にものづいた表現の仕方(後述)ですので、ネガティブな意味合いではないとご理解いただけると助かります。(やりたくないことはやらなくちゃいけないことと抱き合わせにしてクリアしていく、といえば分かりやすかったかも…)
そんな感じで、自分はやりたいこと、やりたくないこと(やらなくちゃいけないこと)をバランスよくブレンドすることで制作のモチベーションを維持しています。
もう少し両方のモチベーションを深堀りしていきましょう。
自発的モチベーションは自分のやりたいこと、放っておいてもやるようなことで、僕にとってそれは創作にあたります。そこに関しては感性の話になるのでそれこそ言語化が難しく、好きであるからという話でしかないのですが、とはいえ創作の中にも苦手なことだったり面倒だなと思うことはもちろんあって、そこに関しては能動的に好きになりにいっている部分があると思います。
ただ、無理矢理自分を騙して好きになっても意味がなくて、その苦手な工程を経ることでもっと自分の好きなものが出来上がるという経験を何度も経ることが大切なのだと思います。俗にいう成功体験を結果ではなく工程に応用していく感じです。
僕はゴーヤが苦手なのですが(唐突)、ゴーヤチャンプルーは食べられます。それはなぜかというと、甘みのある豚肉のうまみと卵のまろやかさがゴーヤの苦みを中和し、相乗効果をもたらしてくれることを知っているからです。
そんな感じで、「やりたいことの工程にこれを挟むとよりやりたいことに近づいたり、楽しくなる」といった感じで、バランスよく楽しいと楽しくないをブレンドしていくことでどこの工程でも躓くことなく平均的に高いモチベーションを維持できるのかなと。
このブレンド具合は日によって違うので、それも逐一ちゃんと理解・意識することでより維持ができるようになる気がしています。
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続いて環境的モチベーションについて。これは非主導的(追従的)と言い換えることもできます。
前述した仕事観の話をまずしますが、仕事において「やりたいこと」は基本的に僕が持つものではなく、クライアントさんが担うものであるべきだと考えています。僕はそのやりたいことを叶えるという責任をもって対応をしていくわけです。(僕のアイデアや感性を基にやりたいことがあるのであれば、これもクライアントさんのやりたいことに含まれるのかなとも考えています)
これは「やらなくちゃいけないこと」になります。熱があっても睡眠時間が0でも悲しいことがあってもやりたいゲームがあってもベッドから起き上がれる限りは必ずやり遂げるものです。(過去一度、腰痛で1ミリも起き上がれない時だけ納期を1日延ばす相談をしたりしました)
上述のとおり、これに関しては自分の性格や性質を利用したモチベーションの維持の仕方で、他人との約束ごとや、責任を伴う形にすることによりある種モチベーションとは関係ない盤外戦術で「結果的みたらモチベーションが維持されている形にする」という戦略です。
このやり方を使って、本当に苦手なこと、やる気が起きないけどやらなくちゃいけないことを解消していくというのがこの環境的モチベーションの本懐です。
僕の本当に苦手なことは「努力」と呼ばれているもので、苦手な音楽ジャンルを履修、対応したり、自分が満足しているものをさらにレベルアップさせたり、使ったことない音色を使ったり、楽器の練習をしたり等々…。多分放っておいたら一生やらないだろうなということを、この環境的モチベーションを絡めることによって習得していってます。
これが最終的に自発的モチベーションに還っていったり、そもそも社会的に、生活的に創作を続けていくための基礎になっていったりしているのだと思います。
自分はこれらのことを無意識的に「環境を整えること」に近い解釈で行っていたため、環境的モチベーションとここでは命名させていただきました。
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最後にもう一つのテーマ、インスピレーションについて。
まず、モチベーションが保たれているからこそのインスピレーションだという大前提があるかと考えているので、先にモチベーションのお話をさせていただきました。
これはインスピレーションのトリガーの一部に情報や理解があると思っておりまして、興味があることや自分が常に触れている、考えているからこそ収集・蓄積されていくものなのかなと。
そして、この情報収集の仕方と蓄積の仕方がインスピレーションの下地になるというのが僕の考えです。
よく言われるものとして「インプット」というワードが想像しやすいと思いますが、創作においてはただインプットするだけではなく、最終的にアウトプットすることでインプットの価値が高まっていきます。
となると、アウトプットすることを前提にインプットをすればより良質なインプットができるのではないかと思うわけです。
具体的には、例えば自分が関わっていない作品を鑑賞するとき、感情移入したり、感動したり、つまらなかったりという感想を抱いたときに、自分はその感想の理由を作品内で探したりします(それができないほど素晴らしい作品もたくさんありますが…)
伏線の張り方や回収の仕方、感情の表現に使用している言葉、前後の流れ、逆に自分の感性に合わない部分はどうしてその選択をこの人はしたのかということを考察します。正解は正直なんでもよくて、自分の中で納得できる形で落とし込めればそれでよいのかなと。
そうやって情報や感想を解釈した上で、自分の作品に落とし込む際にどんな形をしていればよいのか。というところまで情報を下拵えし、そこでようやくインプットが完了したといえるのかなと僕は考えています。(といいつつ、それらをすぐに出せるほどしっかりと保存しているわけではないですけれども…)
動画ではよくない例えとして出しましたが、歌詞を書くのに語彙を増やそうと辞書を頭から読んでいた時期が僕にはありました。この時点でなんとなく察している方もいるかもしれませんが、その辞書から得た知識のほとんどは歌詞に応用することはなく、砂漠から砂金を見つけるがごとく、必要のない情報をたくさん取り込んでいる状態でした。今となっては最初の一文字目すら覚えてません。というか何一つ覚えてません。そもそも辞書はそういう使い方をしません。
とまぁ、そんなわけで、インプットにも良し悪しがあるというお話でした。ここまでが「インスピレーションの下地」のお話。
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ここからはインスピレーションを起こすためにはという話なのですが、これは刺激や衝動、欲求が深くかかわっている気がします。
再現性はないけど一番良いインスピの例として、インプットした情報があまりにも良質で、特に意識しなくても湯水のごとくアイデアが沸くパターンがあります。これが俗にいう「降ってきた」ってやつですね。小説、『生霊の棲むゴーストランド』や楽曲で言うと『碧色のパレード』のサビ最後「あぁ、なんて素敵な~」とかもその類です。発想から芋ずる式に全部出てくるようなパターン。
これは本当に運が絡んでくるので再現性はないです。収集していた情報の中に、たまたまとんでもねぇものが混じってて、その情報自体がトリガーになって発想が生まれてるパターン。
正直、全部これなら苦労はしないんですが、苦労してるってことは全部が全部これじゃないってことです。認めなさい。認めなさい…(自分に言い聞かせてます)
ただ、刺激や欲求、というのはまだひも解く余地がありそうかなと思います。ここら辺に関しては各々違った感覚があると思うのですが、僕は制限や条件と言い換えることができるのかなと思います。
「こういうことをしたい…」「こういうことができたら…」という理想は現実との乖離がある、つまり制限や条件が付与されるからこそ明確に見えてくるのかなと…。
トランプゲームで例えると、手札というインプットした情報があり、そこに条件(ルール)が発生して初めて勝ち筋が見える。勝ちという理想に向けて選択肢を広げるアイデアが生まれるみたいな感じですかね。
この手札が例えば♣クラブのAでなく🥦ブロッコリーの1258とかだとそもそも条件に合わず、使えずでインスピレーションの下地にはならないので、整った形でのインプットがやはり大事ということです。(ブロッコリーの絵文字じわじわくる)
話が少し逸れましたが、「理想に至るまでの選択肢、アイデア」が僕にとってはですがインスピレーションなのかなと。そういう話でございました。
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なんでしょう。動画で話すよりもこちらの方が圧倒的に分かりやすく解説できたきがしています。動画撮影は本当に緊張していたようです。配信はもっとリラックスしてるのが謎過ぎてよく分からないです。逆に不足あったらその場で聞いてもらえるっていう環境がいいんですかね。コメントに助けられてます、ありがとうございます。
さてさて、長くはなってしまったので早々に切り上げさせていただきます。次回の亡霊横丁のアトリエもよろしくお願いします。ではまた。