どうも。梅雨の時期に季節感たっぷりの延々日和のShorts動画をYoutubeにアップしてやるぜ~!と息巻いていたのですが梅雨ないなった…。生粋の晴れ男、時計塔プロジェクトの吉岡大地です。
今回は上手くいかない、いわゆる"落ちている"状態にどう向き合っているのか、ということについてお話しました。最近は作家の方とお話する機会が増えまして、そのたびに成功の裏には日の目を浴びない多くの"上手くいかない"があり、そこを耐え忍び突破しているからこその"上手くいく"があるのかなと思ったり。なんできびしい世界なんだここは…。
『“結果が出ない時期”との向き合い方』
結果については以前話した『結果が出てないのになぜ続けるの?』( https://ctpjblog.blogspot.com/2025/03/06.html )を参照していただいて…。
そんな結果が、今のSNS時代の影響もあり数字としてとっても分かりやすく、目に見える指標として白日の下に晒されています。これがなかなか今を生きる活動をしている人間に良くも悪くもド刺さりする仕様で、特に結果を得られない場合に精神的な面で容赦なくダメージを与えてきます。
そんな結果が、今のSNS時代の影響もあり数字としてとっても分かりやすく、目に見える指標として白日の下に晒されています。これがなかなか今を生きる活動をしている人間に良くも悪くもド刺さりする仕様で、特に結果を得られない場合に精神的な面で容赦なくダメージを与えてきます。
ただ一応、そういったネガティブな側面もありつつ、現状を客観的に観測できるという側面もあるのも事実。活動の流れやバイオリズムが可視化されることで見えてくる方針や改善の余地もあるかと思うので、一概に悪いとも言えないということは理解しておく必要があると思います。
とはいえ、ネガティブな側面は無視をするには大きすぎる。ここにしっかりと折り合いをつけ上手に付き合っていくことがやはりこの時代で活動をしていく上で大切なことなのかなと思うわけです。
とはいえ、ネガティブな側面は無視をするには大きすぎる。ここにしっかりと折り合いをつけ上手に付き合っていくことがやはりこの時代で活動をしていく上で大切なことなのかなと思うわけです。
そこら辺を整理する前に、前提として作品を作ることと作品を広める(結果を出す)ことは必ずしも同じ能力ではなく、それに向けて磨くもの、こなすタスクも全く違ったりします。
このプロジェクトにおいては特に、作品は結果に左右されるものではなく、僕自身がいいと思ったものを作ることを目的として活動しています。ただ、だからといって広まる必要がないというわけではありません。(性質として広まりづらいという事実は受け入れる必要はありますが…)
もし作品自体が大衆向けではない、広まりづらいという部分があったとしても、人に届けるクオリティに到達していないという場合を除いて、その作品の中で一番伝わりやすい、伝えやすい形にして届けるということは作品を変えずともできることなのかなと思います。つまり、伝わりづらくても、伝える努力を怠っていい理由にはならない、ということです。
だからこそ僕自身も作品は変えずとも伝え方を試行錯誤しているので、上手くいかなかったときは「ダメだったかぁッ!!」とじたばたしながらAPEXやゼルダの伝説を起動し現実逃避をするわけです。
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ただそのなかで気を付けなければいけないのが、その結果が本当に自分の作品に興味を持たれなかったのか、それともただ気付かれなかっただけなのか、という事実を見極めることなのですが、これがまた難しい。数字だけでは判断ができない部分なのです。
それを理解していないと、判断や特定が難しい事実を「作品がダメだったのかな…」「自分の宣伝が足りなかったのかな…」と感情で決めつけてしまいがち。これは起こったことに対する理由や因果関係が不明瞭だとストレスになってしまうことに起因する、ある種の防御反応みたいなもので、事実を誤認したうえでネガティブな感情も併発してしまうという最悪の結果になり得るのです。
改めてそういったことを理解したうえで、一度冷静に"上手くいかなかった"を見る必要があるのですが、同時に"上手くいった"、いわゆる活動の"上振れ"にも実は同じことが言えるのです。
大体人はいい結果の時に「これがワイの実力やったんや…」と感情で判断しがちですが、これも下振れと状況は同じで、たまたま見る人が多い時間帯に投稿していたり、時の運や流れに沿ったものを"良い"タイミングで出せたことによる上振れだったりします。同じタイミングに同じものを発表したとき、状況や環境が違うだけで真逆の結果になることだって全然あり得るわけです。それって果たして実力なのだろうか…。と、僕なんかは考えてしまうわけです。
なので、そういったことを加味したうえで自分はどうしているのかといいますと、数字に関しては極力中央値を見て、それを自分の実力や今の場所だと判断するようにしています。もう少し踏み込んだ表現をすると「当たり前になっている数値」とも言えるものでして、ここの上昇、下降によって活動の調子を判断しています。上振れも下振れもしていない数値ですね。
ここに向き合うことで、その中央値にどれだけ僕以外の誰かが時間と労力を使ってその数字を支えてくれているのか、という認識を改めることができるのです。あえて当たり前になっている数値と表現しましたが、僕自身はそれをすることによりそれは自体が当たり前ではなことだよな、有難いことだなと再認識できます。この認識を常に持つことが、上下に振れても冷静でいるために大切なことなのだと僕は考えています。
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長くなっていますが最後にそれでも落ち込んでしまったときどうするかという話を少しだけ。
基本的に落ち込むようなことがあったとき、僕はしっかりと落ち込むようにしています。落ち込むということはそれだけ現実を見る時間にもなりますし、過大評価して次の行動を起こすよりもよっぽど有意義な時間だと思っています。
とはいえ、落ち込むことによって作業が手につかなくなったりすることもありまして、そういった場合のしわ寄せは大体未来の自分がリカバリーしなくてはなりません。それ自体は非常にデメリット。さて困りましたね。
そこで僕は「落ち込む時間は無駄。非効率だ」と自分に言い聞かせ、少しずつ自分の考え方を変えていきました。実際作業の手が止まれば無駄な時間ですし、リカバリーするのも自分だし、落ち込んでた時間であれもこれもできたよな…と落ち込み終わってから思うようにしています。
もちろん、まったく落ち込まなくなったわけではないですが、落ち込むこと自体減りましたし、立ち直る時間も早くなりました。
そもそも、落ち込むということのメリットは"現実を受け止める"というところにあり、他はその副産物でしかないので、そのメリットだけをしっかり享受したら切り替えていこう、というのが僕が最終的に達した"上手くいかない時期"の向かい方、という話でした。
動画では他にも「広まらない作品は良くない作品なのか」だったり、「成功の仕方を選ぶこと」について話してるので、気になった方はぜひ動画も見てみてください。
それではまた次回、亡霊横丁のアトリエでお会いしましょう。
時計塔プロジェクト 吉岡
公式サイト( http://clocktower-project.com/ )
Twitter( @Clocktower_PJ )