どうも。雪が降ったとき周りではしゃいでる人を「やれやれ…子供だな」という顔をして見ながら実は心の中で小躍りしています。時計塔プロジェクトの吉岡です。
今回おそらくよく喋るだろうと踏んで短めに話したのですが40分を超えてしまいました。普段はあまり饒舌に話すことも少ないのですが、創作のことになると早口になります。僕は創作オタクなのかもしれません。
それと、今回またサムネのレイアウトを変えてみました。結構この試行錯誤が好きで、MVや広報物の制作にも役立ったりします。より"それっぽい"ものが作れたとき、とてもやりがいを感じます。僕はミーハーなのかもしれません。
さぁそんなわけで早速本題に入りましょう。
完成、といっても人それぞれかと思います。僕は人に見せる上での最低限の完成(客観的な完成)と、自分が納得する完成(主観的な完成)の二種類があると思ってまして、前者は作品を中身以外でストレスなく楽しめる"品質"のようなもので、後者はクリエイターのこだわりやエゴの部分だと考えています。
ブログのほうは長くなってもあれなので、今回書くのは主観的、つまり「クリエイターとしての完成の条件はなにか」というところをメインで書いていこうと思います。(客観的な話は動画にて…)
さて、主観的な完成といっても一言では言い表せないくらいそれぞれの媒体ごとに違った完成があるのかなと思っています。
まずは音楽の完成。これらはあくまでも時計塔プロジェクト内での完成という話になりますが、最初に結論を言ってしまうと"色"が一致したときに完成と思うことが多いです。
この色というのはコードが持つ色、楽器の音が持つ色、声が持つ色、歌詞が持つ色 等…それ自体が持っている雰囲気や性質的な、なんとも形容しがたい感覚、僕独自の印象みたいなものがありまして、それを自分の中で"色"と呼称しています。
例えば『青春はポップソーダ』という色があったとして、その色に合うコード進行はこれ、それに合うメロディはこれ、歌詞はこれ、アレンジは…といった感じで、あくまでも自分の感性の中でですが、青春はポップソーダ色を使って『青春はポップソーダ』を作り上げていくようなイメージです(伝われ)
そして、これが厄介かつ面白いのは、色を組み合わせていくことで同じコードや言葉でも別の色に変わっていくことがあります。それを含めて作品の"色"を一致させることが完成の条件になるのかなと。
・ ・ ・
次は小説の完成。これも結論から言ってしまうと、"読後感"が尾を引くものになったとき、完成したと思えます。作品が描く世界から戻れなくなるような感覚といいますか、行ったことはないけど興味がある国に想いを馳せるような、そんな感覚が近いのかもしれません。
この読後感というものは、単純に長い時間同じ作品を読んでいれば一様に訪れるものなのかもしれませんが、より深い読後感を与えるためには、より深い没入感が必要になってきます。
それは、世界観の作りこみだったり、キャラクターの動かし方だったり、いろいろな要素がかみ合ってその世界がこの世にあるような錯覚を覚えるからこそ生まれるものなのだと思います。
自分の中でそれにつながるこだわりポイントとして、一行一行しっかりと意味を持って書くようにしておりまして、文章の展開における緩急やテンポ感はもちろんのこと、キャラクターの掛け合いの中でお互いにどんな思惑があるのか、どんな言葉を返してほしいのか、そんな相手の言葉を理解したうえで話すのか、すれ違わせるのか、世界観の説明は作品の文脈の中でできているか、キャラクターの容姿や性格は登場人物の言動の中で十分に表せているのかetc...上げれば本当にキリがないですが、一行ごとにしっかりとそこにその文章がある意味を考え、意味がないとなれば消すし、前後を入れ替えるべきだという選択を取ったりなど…またまた上げたらキリがないのですが、そういうふうにして少しずつ作品の本質を煮詰めて凝縮した果てに、上記のような読後感が尾を引く作品を作れることが多いのです。
そうしてできた作品は、キャラクターの目を通して、キャラクターにとっての現実として描かれていく。そしてそれが、読者自身を誰もよりも近い物語の観客にしてくれるのかなと思うわけです。
・ ・ ・
続いてゲーム。こちらは動画でも述べたのですが、ジャンルによって無限に広がってしまうので、短めに…。
ゲームに関しては小説と遠からずではあるのですが、キャラクターと過ごした時間が思い出のように"体験"として残る、といったところでしょうか。
例えばRPGの場合、主人公とプレイヤーは一蓮托生でいわばパートナーのような存在になるわけです。そのパートナーと一緒に冒険し、時には傷つき、時には協力して状況を打破していく。そしてゲームが終わる頃には違う国にいる友だちができたような、そんな風にキャラクターが心のなかに残っていくと一つ完成の目安になるのかなと思っています。
あとは遊び心を心ゆくまでいれられた時ですかね。音楽、小説は僕のスタイルだと遊び心を入れてしまうと本編に強く影響してしまうので、ゲームという、プレイヤーが自由に進行を選択できるものであれば、めっちゃキャラクターに会話をさせたり、めっちゃ世界観深堀りしたり、強い道具と交換できるメダルを各地に散りばめたり等できるわけです。
そういった風に自分自身が作品を作る側として遊び倒すことができれば、それも完成のピースになるのかなと思います。
案外、こういった遊び心がキャラクターとの思い出にもなったりするのかなとも。
・ ・ ・
そして最後に『時計塔プロジェクト』の完成について。
これは書き始めておいてあれですが非常に難しい。僕がいなくなった瞬間なのかもしれないし。僕がいなくなっても将来このプロジェクトを継いでくれる奇特な人間が現れるかもしれないし。誰もやってないのに自立して歩き始めるかもしれないし。
ただ、一つ言えるのは、僕自身が「もうこれ以上のものは作れない」という作品をこのプロジェクトで作り上げたとき、それが一つの区切りにはなるんじゃないかなとは思っています。
それは一体いつなのか…。「ワシはまだ作れるぞい!」と言っている自分が頭をよぎりますが、そのときは温かく見守ってあげて欲しいです。
とりあえず、今のところ終わる気配はないプロジェクトですのでどうか末永くお付き合いいただけますと幸いです。
今回はこれにて。次回の亡霊横丁のアトリエもよろしくお願いします。ではまた。
時計塔プロジェクト 吉岡
公式サイト( http://clocktower-project.com/ )
Twitter( @Clocktower_PJ )
時計塔プロジェクト 吉岡
公式サイト( http://clocktower-project.com/ )
Twitter( @Clocktower_PJ )