2025年5月29日木曜日

創作は"理論"でやるものか、"感覚"でやるものか。

 どうも。数年前から心霊・オカルト系のエンタメ動画にハマってしまい夏が近づいてくるとどんな映像作品が見れるのかとわくわくするようになりました。ちなみに霊感は幼少期のころはなかったのですが、最近になってもありません。時計塔プロジェクトの吉岡です。

 今回は前回動画のお話です。先週から今週に掛けて過密にいろいろやっていたので落ち着いて文章を書けませんでしたので今書かせてもらってます。
 そんなわけで、この回ではロジックとフィーリングな制作についてお話させていただきました。理論でやるか、感覚でやるか…思っていたよりもみなさんの関心が高かったようで、今までで一番の高評価をいただきまして…いつも見てくれる方、見つけてくれた方もありがとうございますといった気持ちです。
 亡霊横丁のアトリエに呼応するようにメインチャンネルも見ていただけているようでして、規模は小さくありますが目的に沿った結果が出ていてよかったなと思っています。作品と僕自身が両輪になってこのプロジェクトを進められていければと思いますので今後ともぜひよろしくお願いします。

 それではまた、と締めたくなるような感じになってしまいましたが、ブログでも今回のトークテーマについておまけ程度に補足等してきたいと思います。よければスキマ時間のお供にでも…。


『創作は"理論"でやるものか、"感覚"でやるものか。』

 そもそもこのテーマにしたきっかけとして、以前『青春はポップソーダ』のライナーノーツ内で「自分は理論派の皮を被った感覚派」と書きまして、それは一体どういうことなのか、という部分を深堀りしようとこのテーマを選びました。

 創作をするにおいて、人それぞれにスタンスというものが存在すると思いますが、根本的に二分するとしたら"理論"と"感覚"の2つなんじゃないかなと思います。
 音楽理論を習ったときは、すべてを音楽理論通りにやるのは良くないと注意され、自分の感覚だけで制作していたら、ここは不協和音だから音楽理論を元にこの音を直そうと注意されたり…。もしかすると音楽だけかもしれませんが、理論と感覚はどちらか100%に振り切ろうとするとどちらかが成り立たないような、そんな関係なのかなと思います。

 一応どんなものが理論的な創作で、どんなものが感覚的な創作なのかについて簡単に書いておくと、再現性や合理性があるものをもとにして制作することがざっくりですが理論的な創作、対して瞬間のひらめきや何かいい感じがするという直感的に制作することが感覚的な創作。とりあえずこの記事においてはそう解釈して話を進めていきます。

   ・ ・ ・

 そして、上記を踏まえ自分がどちらの派閥に属するかといいますと…まぁ、書いてある通り「理論派の皮を被った感覚派」となるわけです。
 とはいえどちらも同時に成立させているわけではなくて、例えば創作のスタート時、設計やアイデアなどは結構理論的に行っていたりします。こういう展開にしたい、こういう感情を表すならこんなシーンが欲しい、このメッセージをのせるならこんなメロディがいい等、組み立てていく工程や作業と呼ばれるようなものは基本的に冷静に考えている場合が多いです。
 ただ、それらをよしとするのか、しないのか、そこの判断は感覚で行っていたりします。どれだけ理論武装されたストーリーやシーン、整然とした音だったとしても、それらが自分の感性や心、感覚に作用しなければ味気のないものに仕上がります。ここでめっちゃ根本的な話になるのですが、そもそも創作物が行き着く先、最終地点は「感情」であり「感覚」だと自分は考えているので、そこに行けないものはこと時計塔プロジェクトにおいてはNGなわけです。

   ・ ・ ・

 これはどこで言ったか覚えていないのですが、自分は創作すること自体はとても理性的な行為で、感情的な部分は作品と受け取り手の間にあるものなのかなと考えています。それらを冷静に再現させることこそが創作の面白いところで、創作だからこそ得られるものなのかなとも思います。
 きっとそれらが、僕自身の創作における"理論"で作る部分、"感覚"で作る部分の線引きに影響しているのかなと。
 そんなわけで、創作は"理論"でやるものか、"感覚"でやるものか。という話でございました。個人的には使い所なのかなぁと思いつつ、どちらのいいところも余すところなく頂きたいという僕の貪欲さが表れている話になった気もします。
 それではまた次回、亡霊横丁のアトリエでお会いしましょう。

※ちなみに、『青春はポップソーダ』のライナーノーツはこちらです(宣伝)

時計塔プロジェクト 吉岡
公式サイト( http://clocktower-project.com/ )
Twitter( @Clocktower_PJ )