2019年6月10日月曜日

20190610

※日々思いついたことを箇条書きにし、それにまつわることがあれば詳しく書いていく。なければそれ以上なにも書きません。想像してください。そんなブログです。

■時計塔プロジェクト3周年!
ツイッターでなにもできませんといったのですが、せめて文章では何か書こうと思いブログを書いています。
去年の3月に「Walk alone」、6月に「時計塔の街にて」をリリースして以来、あまり顔を出せずにおりました。(とはいえ、この2作もスケジュールの隙間を縫ってなんとか制作したのですが…)
最近では去年、いや一昨年くらいからはじめていた創作活動の種が芽を出しはじめ、ようやく頑張りが報われてきたのかなと思っております。
それら全部が時計塔プロジェクトをきっかけに動きはじめたものばかりで、あのときした選択は間違っていなかったなと思うと同時に、なにかこのプロジェクトにも、そしてそれを待ってくれている人たちにも還元せねばと思っては、日々の忙しさに忙殺されていく毎日を送っております。
「綺麗に生きることは難しいね」と語りかけては、つらいことばかりで雑になってしまいそうな毎日を、じっくり、大切に生きています。後ろを振り返るときはあるけれど、必ず前いたところよりも高いところにいられるように、間違いだったとしてもそれを間違いにしないように、自分のちっぽけな感性を必死に守りながら創作を続けています。
今、時計塔プロジェクトの作品を作ったら絶対いいものができる!と思っています。いいと思うものは変わらず、それを伝える技術をどんどん磨いています。

「早く創作だけの日々を過ごしたいなあ」と、願い続けて、それを一歩ずつ叶え続けていく3周年でした。
もうこのプロジェクトも4年目ですか。時が過ぎるのは早いものです。
僕の人生と同じ長さの、とっっっても長期的なプロジェクトになる予定ですが、もうそろそろ何か発表したいですね。自分のためにも。

■変化について
人は何もしないと退化してく。つまり、止まることは退化していることと同じだ。
という言葉を、なにかで見てとても感銘を受けた記憶があります。
僕はものづくりに悪い影響を及ぼす変化を徹底的に排除してきました。多分、これからもそうするんだろうなーと思っています。でも、それで大きなものを失った覚えがないので、そこまで間違っていないのだろうなと思います。
代わりに、良い影響を与えるであろう変化はいったん全部受け入れてしまいます。これも多分、これからも変わらずしてしまうんだろうなと思っています。でも、それで得たものはものづくり、すなわち僕の人生にいい影響を与えてくれるので、これもそこまで間違っていないのだろうなと思います。
そんなことを書きながら、ここ1年で1番変わったことってなんだろうなあと思ったのですが、まずぱっと浮かんだのは、作品のクオリティに対する基準というか、ここまでいきたいという、納得ができる及第点がとても高くなったことかなと。
やっぱりものづくりをしていると、どこかで「ここらへんでいいかな」と思う瞬間があったりします。けれど、そう思った瞬間に「いや、もう少し先の景色が観たい」と思うことが多くなりました。ただ最近は、感覚がマヒしてきてブレーキをかけなければいけないところ(体調的な意味で)も「行ったれ!」とアクセルを踏むこともしばしばなので、これからは「ここらへんでいったん休んだあとにもう少し先の景色を観に行こう」という意識を持たなくてはと思いながら、今宵もアクセルを踏んでいます。
時には命を燃やしてでも作りたいものがある。これは、作り手の性ですね。ご心配の声はありがたく頂戴しつつも、ご理解をいただきたい。

■健全な精神は健全な肉体に宿るというけれど
僕はブログに書きたいことを箇条書きにしているのですが、今回このブログを書くにあたってメモを漁ってみたらこんな箇条書きが。
多分、結構前に書いたメモで、「けれど」の後に続く言葉がまったく思い出せません。それを肯定したいのか否定したいのかもよく分かりません。
今の自分がそれを考えるとしたら、持ちつ持たれつ、どちらかが健全だとしても、崩すときは崩すなと思います。バランスですね。なにごとも。


時計塔プロジェクト 吉岡
公式サイト( http://clocktower-project.com/ )
Twitter( @Clocktower_PJ )