2016年8月1日月曜日

20160801

※日々思いついたことを箇条書きにし、それにまつわることがあれば詳しく書いていく。なければそれ以上なにも書きません。想像してください。そんなブログです。

■つみきのいえを観た
ふとしたきっかけで「つみきのいえ」という短編アニメーションを観ました。
音楽だけで台詞のない作品でしたが、主人公の人生の軌跡や心情描写がしっかりと伝わってきました。
ひとつひとつのシーンや動きにそれぞれ意味があって、シンプルな作品ながらもすごく工夫をしているなと思いました。
なにより、舞台設定がとても好みでした。水に沈んだ街が好きな方はぜひ。

■いま、なにをしているのか
僕はいま、小説の勉強をしています。(たまにゲーム制作ソフトの勉強も)
僕がもともと大事にしていた作品を作るにあたっての注意事項も書かれていて、自分の考え方は間違っていなかったとほっとしています。だけど、それらを120%の形で表現する力がまだないので、それをひたすらに磨かなくてはいけないなと。これは、いくら本を読んでも、人から話を聞いても手に入らないもので、ひたすら書いて鍛えていくしか道はありません。恐らく、それが一番の近道です。
それらの本に書かれていた、プロット(ストーリーよりも細かい展開やシーンの計画書みたいなもの)がいかに大事か、そこに生きる人や世界をいかに掘り下げていくかという話は、ゲームのストーリーや構成にもいかせそうです。勉強はどこで役に立つか分からないですね。

■7月はゲームをして本を読んだ月だった

■感覚だけでものを作る時代はとっくに終わっているのかもしれない
いろいろな本や調べ物をしているときに思ったのは、優秀な先人たちがこんなにも分かりやすい形で技術やコツ、ものの考え方を残しているこの時代に、なにもしない人間は絶対に生き残れないだろうということでした。
手に入る情報が少ない時代は自分でノウハウを見つけ、自分の能力を飛躍的に上げた人間が評価されてきましたが、今の時代そのノウハウもすぐに手に入る。
僕は昔、なにも努力をせずに結果を出す人がかっこいいし本当の天才と聞いてきましたが、それは間違いでした。
今はもうそんな時代ではないです。天才の技術はたくさん世に出回っています。ということは、それらの技術を身に着けて初めてスタートラインに立てるということ。
努力をせずに成すことが天才だと言い始めた人は天才ですよね。それだけで、将来のライバルの一定数が努力をやめるんですから。

■自分はとてもわがまま
この間の生放送のとき、若干声が枯れていたので、ちゃんと喋れていたか不安になって珍しく自分の放送を観返してみました。思ったより聞き取りやすく喋れていたのですが、視聴者の方がくれた生放送のアイデアやこうしたほうが注目されるよ!なんて言葉にすごく歯切れの悪い言い方をしていました。
そこで気付いたのですが、僕は個人(吉岡大地)を売っていくつもりがない。またはその能力が乏しいんだなと思いました。僕自身、それは納得しているのでよいと思っているのですが、みなさんはどうなのでしょう。
youtubeとかで体を張った面白動画を毎日投稿して広告収入を得たり、自撮りをたくさんアップしてファンを増そうなんて気はさらさらありません。もちろんそれらを否定するつもりもないです。僕にそれらができないというだけであって。
もしかすると、僕個人が好きな人には、今のやり方は合わず離れていくかもしれませんね。けれど、僕の作品が好きな人はこのやり方でついてきてくれると信じています。そしてこれからも、その努力は惜しみません。
ただ注目されるのではなく、正しい形で作品たちが日の目をみるよう、僕はわがままであり続けると思います。それは作品を守るため、ひいては自分自身の感性を守るため。
僕は作ることやそれに関係することになるとものすごく頑固です。わがままです。
こんな、とても商品にならない"個人"です。僕だけあれば作品はどうでもいいという人がもしいたら、素直に諦めるべきだと助言しておきます。

■外が暑すぎて影を伝って歩く能力が上がっている

■窓際で鳴くセミは最強の目覚まし時計


■あとがき
いつも思いついた順に箇条書きを書いているのですが、
さすがにこの締めは緊張感なさすぎですね 笑

薄いお知らせですが、8月から少しずつ制作に集中していこうと思っています。
ブログは箇条書きが溜まったら書いていきますが、生放送などは減っていくかと。


時計塔プロジェクト 吉岡
公式サイト( http://clocktower-project.com/ )
Twitter( @Clocktower_PJ )