2025年2月5日水曜日

創作のモチベーションとインスピレーションを維持しつづけるには?

 どうも。最近、括弧は半角()派から全角()派に変わろうとしています。目玉焼きはしょうゆ派一択。時計塔プロジェクトの吉岡です。

 今回の『亡霊横丁のアトリエ』は久々(始めたてのとき以来)の動画での更新となりました。
 編集時に収録した動画を確認しながら、最初の動画よりも圧倒的に自分の理想に近づいたものが出来上がっていて、一人で感動しておりました。度々配信で言っていたマイナーチェンジを繰り返しつつ、どこかのタイミングでそれらが刷新されて…というのを繰り返してきた一つの結果なのかなとも思いました。やっぱ継続が一番強ぇ。
 引き続きこのアトリエで遊びつつ、自身の作品の話をしつつ、創作を見せつつやっていきたいなと思っております。亡霊横丁のアトリエ』はまだまだ進化形態を残しておるぞ。

 はい。さっそく本題に移りましょう。


『創作のモチベーションとインスピレーションを維持しつづけるには?』

 あらかじめお伝えしますが、How to 的なお話というより、ずっと創作を続けていたやつがどうしてここまでモチベーション高く制作をし続けられたのかという一つのケースとしてのお話になるのかなと思っています。あくまで参考程度にしていただければ。
 とはいえ、自分自身もどうしてモチベーションが続くのかしっかりと考えたことはなかったので、自分のスタンスを再確認しつつ、今後のモチベーション維持につなげていきたいなと思っています。多分今回は真面目なお話です。

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 まず、自分は自発的モチベーションと環境的モチベーションの二種類を持ち合わせています。
 自発的は世間一般で言われているようなモチベーションに近いニュアンスで、自分のやりたいこと、成し遂げたいことみたいな意味合いになります。時計塔プロジェクトは自発的モチベーションの権化って感じです。
 環境的は単純に自分主導ではない、周りに引っ張ってもらう形のモチベーションになります。依頼されたもの等、主にお仕事関係のニュアンスで理解していただくのが良いかなと。
 動画ではこれを「やりたいこと以外」みたいな意味合いで「やりたくないこと」と表現をしておりますが、厳密にいうと「やらなくちゃいけないこと」という文脈で表現いたしました。これは自分の仕事観にものづいた表現の仕方(後述)ですので、ネガティブな意味合いではないとご理解いただけると助かります。(やりたくないことはやらなくちゃいけないことと抱き合わせにしてクリアしていく、といえば分かりやすかったかも…)

 そんな感じで、自分はやりたいこと、やりたくないこと(やらなくちゃいけないこと)をバランスよくブレンドすることで制作のモチベーションを維持しています。

 もう少し両方のモチベーションを深堀りしていきましょう。
 自発的モチベーションは自分のやりたいこと、放っておいてもやるようなことで、僕にとってそれは創作にあたります。そこに関しては感性の話になるのでそれこそ言語化が難しく、好きであるからという話でしかないのですが、とはいえ創作の中にも苦手なことだったり面倒だなと思うことはもちろんあって、そこに関しては能動的に好きになりにいっている部分があると思います。
 ただ、無理矢理自分を騙して好きになっても意味がなくて、その苦手な工程を経ることでもっと自分の好きなものが出来上がるという経験を何度も経ることが大切なのだと思います。俗にいう成功体験を結果ではなく工程に応用していく感じです。
 僕はゴーヤが苦手なのですが(唐突)、ゴーヤチャンプルーは食べられます。それはなぜかというと、甘みのある豚肉のうまみと卵のまろやかさがゴーヤの苦みを中和し、相乗効果をもたらしてくれることを知っているからです。
 そんな感じで、「やりたいことの工程にこれを挟むとよりやりたいことに近づいたり、楽しくなる」といった感じで、バランスよく楽しいと楽しくないをブレンドしていくことでどこの工程でも躓くことなく平均的に高いモチベーションを維持できるのかなと。
 このブレンド具合は日によって違うので、それも逐一ちゃんと理解・意識することでより維持ができるようになる気がしています。

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 続いて環境的モチベーションについて。これは非主導的(追従的)と言い換えることもできます。
 前述した仕事観の話をまずしますが、仕事において「やりたいこと」は基本的に僕が持つものではなく、クライアントさんが担うものであるべきだと考えています。僕はそのやりたいことを叶えるという責任をもって対応をしていくわけです。(僕のアイデアや感性を基にやりたいことがあるのであれば、これもクライアントさんのやりたいことに含まれるのかなとも考えています)
 これは「やらなくちゃいけないこと」になります。熱があっても睡眠時間が0でも悲しいことがあってもやりたいゲームがあってもベッドから起き上がれる限りは必ずやり遂げるものです。(過去一度、腰痛で1ミリも起き上がれない時だけ納期を1日延ばす相談をしたりしました)
 上述のとおり、これに関しては自分の性格や性質を利用したモチベーションの維持の仕方で、他人との約束ごとや、責任を伴う形にすることによりある種モチベーションとは関係ない盤外戦術で「結果的みたらモチベーションが維持されている形にする」という戦略です。
 このやり方を使って、本当に苦手なこと、やる気が起きないけどやらなくちゃいけないことを解消していくというのがこの環境的モチベーションの本懐です。
 僕の本当に苦手なことは「努力」と呼ばれているもので、苦手な音楽ジャンルを履修、対応したり、自分が満足しているものをさらにレベルアップさせたり、使ったことない音色を使ったり、楽器の練習をしたり等々…。多分放っておいたら一生やらないだろうなということを、この環境的モチベーションを絡めることによって習得していってます。
 これが最終的に自発的モチベーションに還っていったり、そもそも社会的に、生活的に創作を続けていくための基礎になっていったりしているのだと思います。
 自分はこれらのことを無意識的に「環境を整えること」に近い解釈で行っていたため、環境的モチベーションとここでは命名させていただきました。

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 最後にもう一つのテーマ、インスピレーションについて。
 まず、モチベーションが保たれているからこそのインスピレーションだという大前提があるかと考えているので、先にモチベーションのお話をさせていただきました。
 これはインスピレーションのトリガーの一部に情報や理解があると思っておりまして、興味があることや自分が常に触れている、考えているからこそ収集・蓄積されていくものなのかなと。
 そして、この情報収集の仕方と蓄積の仕方がインスピレーションの下地になるというのが僕の考えです。
 よく言われるものとして「インプット」というワードが想像しやすいと思いますが、創作においてはただインプットするだけではなく、最終的にアウトプットすることでインプットの価値が高まっていきます。
 となると、アウトプットすることを前提にインプットをすればより良質なインプットができるのではないかと思うわけです。
 具体的には、例えば自分が関わっていない作品を鑑賞するとき、感情移入したり、感動したり、つまらなかったりという感想を抱いたときに、自分はその感想の理由を作品内で探したりします(それができないほど素晴らしい作品もたくさんありますが…)
 伏線の張り方や回収の仕方、感情の表現に使用している言葉、前後の流れ、逆に自分の感性に合わない部分はどうしてその選択をこの人はしたのかということを考察します。正解は正直なんでもよくて、自分の中で納得できる形で落とし込めればそれでよいのかなと。
 そうやって情報や感想を解釈した上で、自分の作品に落とし込む際にどんな形をしていればよいのか。というところまで情報を下拵えし、そこでようやくインプットが完了したといえるのかなと僕は考えています。(といいつつ、それらをすぐに出せるほどしっかりと保存しているわけではないですけれども…)

 動画ではよくない例えとして出しましたが、歌詞を書くのに語彙を増やそうと辞書を頭から読んでいた時期が僕にはありました。この時点でなんとなく察している方もいるかもしれませんが、その辞書から得た知識のほとんどは歌詞に応用することはなく、砂漠から砂金を見つけるがごとく、必要のない情報をたくさん取り込んでいる状態でした。今となっては最初の一文字目すら覚えてません。というか何一つ覚えてません。そもそも辞書はそういう使い方をしません。
 とまぁ、そんなわけで、インプットにも良し悪しがあるというお話でした。ここまでが「インスピレーションの下地」のお話。

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 ここからはインスピレーションを起こすためにはという話なのですが、これは刺激や衝動、欲求が深くかかわっている気がします。
 再現性はないけど一番良いインスピの例として、インプットした情報があまりにも良質で、特に意識しなくても湯水のごとくアイデアが沸くパターンがあります。これが俗にいう「降ってきた」ってやつですね。小説、『生霊の棲むゴーストランド』や楽曲で言うと『碧色のパレード』のサビ最後「あぁ、なんて素敵な~」とかもその類です。発想から芋ずる式に全部出てくるようなパターン。
 これは本当に運が絡んでくるので再現性はないです。収集していた情報の中に、たまたまとんでもねぇものが混じってて、その情報自体がトリガーになって発想が生まれてるパターン。
 正直、全部これなら苦労はしないんですが、苦労してるってことは全部が全部これじゃないってことです。認めなさい。認めなさい…(自分に言い聞かせてます)

 ただ、刺激や欲求、というのはまだひも解く余地がありそうかなと思います。ここら辺に関しては各々違った感覚があると思うのですが、僕は制限や条件と言い換えることができるのかなと思います。
 「こういうことをしたい…」「こういうことができたら…」という理想は現実との乖離がある、つまり制限や条件が付与されるからこそ明確に見えてくるのかなと…。
 トランプゲームで例えると、手札というインプットした情報があり、そこに条件(ルール)が発生して初めて勝ち筋が見える。勝ちという理想に向けて選択肢を広げるアイデアが生まれるみたいな感じですかね。
 この手札が例えば♣クラブのAでなく🥦ブロッコリーの1258とかだとそもそも条件に合わず、使えずでインスピレーションの下地にはならないので、整った形でのインプットがやはり大事ということです。(ブロッコリーの絵文字じわじわくる)
 話が少し逸れましたが、「理想に至るまでの選択肢、アイデア」が僕にとってはですがインスピレーションなのかなと。そういう話でございました。

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 なんでしょう。動画で話すよりもこちらの方が圧倒的に分かりやすく解説できたきがしています。動画撮影は本当に緊張していたようです。配信はもっとリラックスしてるのが謎過ぎてよく分からないです。逆に不足あったらその場で聞いてもらえるっていう環境がいいんですかね。コメントに助けられてます、ありがとうございます。

 さてさて、長くはなってしまったので早々に切り上げさせていただきます。次回の亡霊横丁のアトリエもよろしくお願いします。ではまた。

時計塔プロジェクト 吉岡
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2025年1月31日金曜日

これまでで一番大変だった制作は?

 どうも。最近お風呂でシャンプー→リンス→ボディソープの流れでいこうと思ったら3回シャンプーをしてしまいました。疲れています。時計塔プロジェクトの吉岡です。

 しれっと久しぶりの更新です。
 長らくブログというものを書いていませんでしたが、気が向いたので更新しようと思います。ブログというのはそういうものです。

 さて、今自分はメインチャンネルとサブチャンネルを分け、配信周りは基本的にサブチャンネルである『亡霊横丁のアトリエ』というチャンネルで行っています。
 『亡霊横丁のアトリエ』は、あらゆる実験的なことをしつつ、クリエイター(僕)に焦点をあてたコンテンツを集約する目的で運営しています。(こう言うとかっこいい感じしますが、実際は気軽に色々できる場所としてやっていくつもりです)

 チャンネルの紹介もほどほどに、今回は雑談配信のテーマで触れた『これまでで一番大変だった制作は?』ということについて振り返っていこうと思います。
 配信は概ね出たとこ勝負なので、微妙にニュアンスが違う表現をしてしまったり、正しくない情報を発信してしまうこともあります。
 なので、時間がある時に限りですが改めて振り返りつつ、トークテーマについてもう少し深堀りやこぼれ話ができればと。

 あとは、配信をイチからみるより圧倒的にタイパがいいです。
 単純に読み物としてご利用いただくのもいいでしょう。配信を見ていない方でも読めるように、配信で言った内容もさらっていきます。




『これまでで一番大変だった制作は?』

 一口に大変と言ってもいろいろ方向性がありまして、ざっと思いついたのは「制作期間」「制作そのもの」「制作外」という3方向のベクトルでした。

 制作期間的に大変だったのは『秒針は夢をみる』という、時計塔プロジェクト最初のゲーム作品。
 時計塔プロジェクトは最初から音楽&小説&ゲームを出すプロジェクトにしようというところは決まってまして、その中でも音楽と小説は昔から作っていたストックがあり、あとは公開できる形に整えるだけの状態でした。

 具体的な発足日が決まったのは音楽と小説の整えが終わってきたあたり。作品が完成し始め、時計塔プロジェクトがより現実的になった段階でようやく「いつはじめようか…」と考え始めました。
 その際、なにかいい記念日はないかと適当に探していると…。
「"時の記念日"…!?素晴らしい日があるじゃないか!日付は6月10日か…。あと2か月後やんけ!!!!」

 そうなんです。『秒針は夢をみる』は大体2ヶ月で企画立案、制作をしました。
 当時使用していた制作ツールは「RPGツクール2000」という、2000年初頭フリーゲーム界隈の覇権といっても過言ではないソフトをメイン武器としておりました。
 お気づきの方がいらっしゃるとは思いますが、時計塔プロジェクト発足は2016年。そうです。この「RPGツクール2000」の発売日は2000年なのです。
 僕は16年前に発売された武器を片手にこのゲームを制作しました。気骨がありますねぇ(適当)

 そんなこんなでなんとか最後まで作りきり、一旦バグには目をそらした状態で公開。アディショナルタイム(アウト)でバグを fix し、ようやく完成となりました。
 この時に効率という概念に触れ、のちの制作の礎になっているとかなってないとか。

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 次に制作自体が難航したもの。これは1stミニアルバムの『Walk alone』でした。
 このアルバムを制作したのは、時計塔プロジェクトとほぼ同時期に始めた作家業で悪戦苦闘していた時期。
 自分のやりたいことを改めて見つめなおそうと制作を始め、自分が見たい景色をなんとか形にしてリリースしたアルバムです。

 僕は常日頃、「自分自身の想像力に技術が追いついていない」と言っていますが、この時期は特に顕著で、ある程度できることが増えたからこそ、前以上に鮮明な景色が頭の中で見えるようになり、それを現実世界に落とし込むことができずこっちでもまた悪戦苦闘した記憶があります。

 シンプルさと複雑さが重なりあった楽曲構成や、際限のない疾走感、目まぐるしく展開していく構造など、改めて聞いてみると今現在制作している楽曲と通ずるものがあり、当時よりもより鮮明に形として出せるようになっていて、ようやく想像力に技術が追いつこうとしているのかなと思っています。
 でも気がつくと置いていかれてます。せっかちで進むの早いんですアイツ。

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 最後は、制作外で大変だった作品。これは時計塔プロジェクトのサイトをゲーム化した屈指のお気に入り謎作品『時計塔の街にて』です。
 作品の構造がそもそも異質なのですが、それに合わせた世界観や設定は自分のサイトをゲーム化しようと発想した瞬間からぽんぽんと出てきたのでその点は苦労しませんでした。
 ただ、それを叶えるためには僕の最強装備である「RPGツクール2000」は使えないようで、当時最新であった「RPGツクールMV」という新武器に手を出しました。

 このツールがまた革新的で、それ故に癖も強い。Javascriptというプログラミング言語で動いているんですが、JavascriptとRPGツクールMV、どちらのルールも混在するという非常に理解するのに時間を要するものだったんです。
 しかし!このツールの売りである"Javascriptで動く"ゲームというのは、まんまWEBに転用でき、なんとWEBブラウザ上でゲームが動くようになるわけです。「サイトをゲーム化する」という、時計塔プロジェクトでしか発生しない謎需要にこれ以上ないくらいフィットしており、「もしかすると時計塔プロジェクトのためにツール開発してくれたんですかね!?」って当時思いました。正直今も思ってます。

 とはいえ僕はプログラミング初心者なので、理想の仕様を実装するためにめっちゃくちゃ時間がかかりましたし、今となってはコードもぐっちゃぐちゃで更新しようにもどこから手をつけてよいのやら…といった感じです。
 なので、今制作しているゲームが完成したらまた仕様書を書き直しつつ、更新を再開しようかと思っています。RPGツクールMV仕様ではありますが、Javascriptをずっと触ってきましたし、概念的にも理解が深まっているので、だいぶ進化したものが出せる気がしています。そうです。僕の頭の中にある世界はいつだってそんな感じです。あとはそれを出力するだけの作業なのです。

 かなり実装が大変な作品でしたが、そこで出てきた設定から『亡霊横丁のアトリエ』も生まれたし、「時計塔プロジェクト」が単なるプロジェクトではなく、世界そのものを内包したものにできたことを考えると、この作品はとても大きな一歩だったと思っています。

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 配信とはまた別の角度で書いた部分もありましたが、『これまでで一番大変だった制作は?』の振り返りはだいたいこんな感じでしょうか。
 そういえばこの配信からスーツを着だしたんですけど、正直絶対スーツは良くなるから逆に禁止カードかなと思ってあえてやっていませんでした。案の定溶け込んでしまって悔しいです。いい感じです。お気に入りです。最初からこうすればよかった。

 次回の雑談は録画になるか配信になるかはわかりませんが…。ぜひ覗いてもらえると嬉しいです。ではまた。

時計塔プロジェクト 吉岡大地
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2019年8月28日水曜日

20190828

※日々思いついたことを箇条書きにし、それにまつわることがあれば詳しく書いていく。なければそれ以上なにも書きません。想像してください。そんなブログです。

■コーヒー飲むとレコーディングが上手くいかない

■ハッカ油つよい
夏が始まるとまずハッカ油を買いに行きます。洗濯物や掃除で窓を開けるときとか、アレの気配を感じたときとかにいろいろ吹きかけています。
おかげさまで、ここ数年虫害はほぼありません。というとフラグを立ててしまいそうなので今まで誰にも言っていませんでしたが、覚悟が決まったので書きました。来月の今頃にはフラグを回収している予感がします。

■メイドインアビス面白い
遡ってみたら、2018年の12月にも同じこと言ってました。
一回ハマったものは飽きないです。ずっと飽きないものが好きなのかもしれません。
最新刊も(映画も)みていて、次が楽しみで仕方がなくて読み返したりしますが、その度に感動してしまいます。
キャラクターの強いところにも弱いところにもしっかりも向き合って、それらを愛情もって魅力的に描ききっていて、つくしあきひとさん(著者)はとても人が好きなのだろうと思っています。人間讃歌ですね。
来年の映画もいまから楽しみにしています。

■久々にたっぷり休んだら風邪をひきました
寝ているあいだ、世の中は理不尽で出来ていると信じて疑いませんでした。

■お盆休みはあってないようなものでした

■今年とか来年までに
少し前のブログでも書いた気がしますが、創作生活に向けて着実に光明が見えはじめています。
来年には創作で貧乏飯でもいいからご飯が食べられるようになっているといいなー。
時計塔プロジェクトの作品も実はコツコツコツコツ作ってますので、早くまとまった時間を使えるようになって、完成させたいです。
もし良い報告ができるようになったら、それと一緒になにを頑張ったかとか、色々と話せたらいいなって思ってます。

■Beyonder、ミックスしました
fafnarというバンドのBeyonderという楽曲のミックスをさせていただきました。
僕の家に集まってギターとベースを録音したりして、合宿感があって楽しかったです。みんな真面目だけどいい意味でまっすぐじゃなくて、何より音楽に対する意識が高くて、一緒にいて心地の良い時間でした。
頑張れファフナー、飛び立てファフナー。

■BUMP熱再燃
なんか前にも書いた気が…。もしかすると一生燃えているのかもしれません。
アルバム「aurora arc」の「話がしたいよ」と「新世界」がお気に入り。最近はこればっかり聞いてます。
2サビの「話がしたいよ」のところのメロディラインは何度聞いてもグッときます。


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2019年7月15日月曜日

20190715

※日々思いついたことを箇条書きにし、それにまつわることがあれば詳しく書いていく。なければそれ以上なにも書きません。想像してください。そんなブログです。

■夜マック テイクアウトの 高揚感

■自分の楽曲の強みと向き合う日々
自分の楽曲の強みってなんだろう。と考えたとき、大抵は「いつ聞いても(自分で)いい曲だと思える」という答えに行きつきます。あとは、「もし自分が書いた楽曲じゃなかったとしても、街中でふと聴いたら好きになれる」とかです。
実に自分本位な強みですが、とくに悲観はしていません。僕の感性は良くも悪くもきっと普通で、自分の好み一直線で作ったものが意外と周りに受け入れられたりします。その逆も多くて、自分で見つけた「これはいい!」って思ったものが、実は流行ってた(大抵は過去形ですが…)ことも多いです。ミーハーなのかもしれません。
ただ、僕自身に強烈な個性があるわけではないので、今の時代に即しているかは微妙だなと自己分析しつつ「いい曲」という、一番曖昧だけれど大切な部分はしっかりクリアできているのではと思っています(時計塔プロジェクト調べ)。
結局、自分の楽曲の強みは「いい曲」です。ということになるのですが、そんな曖昧なもの誰が分かるの?と思います。けれど、それは「いい曲」を聴いてもらうことで証明するしかないのです。広告だらけの世の中を生き抜くには、少し肩身が狭いですね。

■創作物をぶら下げていないと人に会えない
僕自身よくないところだと思っていますが、なかなか直せません。
多分、勘づいている方は多いと思います。創作に熱中しているのはもちろんですが、なかなか表に出ないのはこういう悪癖?があるからなのです。
自分の価値は自分が創った創作物によって決まる。(自分自身にのみ課している価値観です)と思っているところがあって、作品を出していないときは「僕はどの面さげてこの人と会っているんだろう」と思ってしまいます。多分、自分が気にしているだけで、他の人はあまりそうは考えてはいないのだろうなと思ってはいるのですが、自分で自分が許せない。という、誰の励ましも効かないパターンのやつなのです。
人によっては「僕らしい」とか「ストイック」とか褒めてくれますが、厳しい人が増えてきたらそうもいかんぞと思っているので、ここもなんとか直していきたいのですが、今のところ一番の解決策は作品を作るという、二律的なものが背反していてなんとも悩ましいところなのです。
一応、今回ブログを更新することでこの悩みに打ち勝とうとしていますが、すでにダメージ食らって片膝ついてます。なんとかしたい。

■こいついっつも忙しいな
先月ブログを更新したあとに過去の記事を眺めていたら、いつも忙しそうにしてました。でも今の方が忙しいです。なんとかしたい。

■お蕎麦屋さんにて
お蕎麦屋さんで二つ隣に座ったおばあさんが「ずぞぞぞぞ!」とめっちゃ大きな音で蕎麦をすすっていたので、そんな勢いよく食べることがあるのかとちらりと見てみたら、まったく吸えてませんでした。


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2019年6月10日月曜日

20190610

※日々思いついたことを箇条書きにし、それにまつわることがあれば詳しく書いていく。なければそれ以上なにも書きません。想像してください。そんなブログです。

■時計塔プロジェクト3周年!
ツイッターでなにもできませんといったのですが、せめて文章では何か書こうと思いブログを書いています。
去年の3月に「Walk alone」、6月に「時計塔の街にて」をリリースして以来、あまり顔を出せずにおりました。(とはいえ、この2作もスケジュールの隙間を縫ってなんとか制作したのですが…)
最近では去年、いや一昨年くらいからはじめていた創作活動の種が芽を出しはじめ、ようやく頑張りが報われてきたのかなと思っております。
それら全部が時計塔プロジェクトをきっかけに動きはじめたものばかりで、あのときした選択は間違っていなかったなと思うと同時に、なにかこのプロジェクトにも、そしてそれを待ってくれている人たちにも還元せねばと思っては、日々の忙しさに忙殺されていく毎日を送っております。
「綺麗に生きることは難しいね」と語りかけては、つらいことばかりで雑になってしまいそうな毎日を、じっくり、大切に生きています。後ろを振り返るときはあるけれど、必ず前いたところよりも高いところにいられるように、間違いだったとしてもそれを間違いにしないように、自分のちっぽけな感性を必死に守りながら創作を続けています。
今、時計塔プロジェクトの作品を作ったら絶対いいものができる!と思っています。いいと思うものは変わらず、それを伝える技術をどんどん磨いています。

「早く創作だけの日々を過ごしたいなあ」と、願い続けて、それを一歩ずつ叶え続けていく3周年でした。
もうこのプロジェクトも4年目ですか。時が過ぎるのは早いものです。
僕の人生と同じ長さの、とっっっても長期的なプロジェクトになる予定ですが、もうそろそろ何か発表したいですね。自分のためにも。

■変化について
人は何もしないと退化してく。つまり、止まることは退化していることと同じだ。
という言葉を、なにかで見てとても感銘を受けた記憶があります。
僕はものづくりに悪い影響を及ぼす変化を徹底的に排除してきました。多分、これからもそうするんだろうなーと思っています。でも、それで大きなものを失った覚えがないので、そこまで間違っていないのだろうなと思います。
代わりに、良い影響を与えるであろう変化はいったん全部受け入れてしまいます。これも多分、これからも変わらずしてしまうんだろうなと思っています。でも、それで得たものはものづくり、すなわち僕の人生にいい影響を与えてくれるので、これもそこまで間違っていないのだろうなと思います。
そんなことを書きながら、ここ1年で1番変わったことってなんだろうなあと思ったのですが、まずぱっと浮かんだのは、作品のクオリティに対する基準というか、ここまでいきたいという、納得ができる及第点がとても高くなったことかなと。
やっぱりものづくりをしていると、どこかで「ここらへんでいいかな」と思う瞬間があったりします。けれど、そう思った瞬間に「いや、もう少し先の景色が観たい」と思うことが多くなりました。ただ最近は、感覚がマヒしてきてブレーキをかけなければいけないところ(体調的な意味で)も「行ったれ!」とアクセルを踏むこともしばしばなので、これからは「ここらへんでいったん休んだあとにもう少し先の景色を観に行こう」という意識を持たなくてはと思いながら、今宵もアクセルを踏んでいます。
時には命を燃やしてでも作りたいものがある。これは、作り手の性ですね。ご心配の声はありがたく頂戴しつつも、ご理解をいただきたい。

■健全な精神は健全な肉体に宿るというけれど
僕はブログに書きたいことを箇条書きにしているのですが、今回このブログを書くにあたってメモを漁ってみたらこんな箇条書きが。
多分、結構前に書いたメモで、「けれど」の後に続く言葉がまったく思い出せません。それを肯定したいのか否定したいのかもよく分かりません。
今の自分がそれを考えるとしたら、持ちつ持たれつ、どちらかが健全だとしても、崩すときは崩すなと思います。バランスですね。なにごとも。


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