前回、人を傷つけるというある意味では過剰な描写について話したので、今回は"描かない"という引き算の美学みたいな話をさせていただきました。
引き算は気持ちがいいしかっこいいのでたくさんしがちですが、本当に必要なものを知っていないと出汁のないみそ汁のように味気なくなってしまうので気を付けたいところ。そんなようなお話です。
『"描かない"という描き方について』
創作をする上で避けては通れないのが表現の足し引きというものですが、ここでいう「描かない」というのはいわゆる「引き」、文脈や行間を利用した省略や要約のようなもので、ちょっと極端にはなりますが分かりやすい例を出すと、
「私昨日の夜の21時半くらいに自分の家でお父さんとお母さんと妹と夜ご飯に親子丼と味噌汁とサラダを食べたんだよねー。それでさ、私の隣の席に座って食べてた妹が親子丼食べる前にお味噌汁を全部こぼしちゃってお母さんが慌てて台所にある布巾を持ってきて家族全員でこぼした味噌汁を拭いたりしてる間に私の親子丼が冷めちゃったんだ。そのあと、とっても残念な気持ちで食べたの」
という小説のセリフがあったとします。読みづらいですね。これは前後の文脈や状況を細かく書いたものですが、これに対して「描かない」描き方をすると、
「昨日さ、夜ご飯食べ始めるってときに妹が味噌汁ひっくりかえしちゃって、家族みんなで掃除してたらせっかくの親子丼が冷めちゃった」
となります。これは僕のフィルターかつ極端に絞りましたが、あえて「描かない」ことでそもそも文字数が減って読みやすくなるし、情報量を減らすことによって逆に慌てている様子やがっかりした様子なんかも感じられる余裕が出てきたようにも感じます。(ちなみに今回の例はセリフだったので話し言葉っぽい語彙と情報量も意識しました)
一応興味がある方に僕のフィルターの入れ方をなんとなく解説しますと、どれが重要でどれが必要ないかという情報かをまず取捨選択しています。
まず「夜の21時半くらいに」という情報は「夜ご飯」で済みます。何時かはこの文脈においては重要ではありません。ここで伝わるべきなのはざっくりした時間と何をしているか、つまりは「夜ご飯」なのです。
家族で食べていた、自分もそこにいた、という情報は丁寧にしたければ入れても良いですが、「家族みんなで掃除してたら」に集約しなんとなく察することができそうなのでカットしました。これは前後のシチュエーションで友達に向けて話している、というものがあればより必要はなくなる描写なのかなと。ついでに、慌てるという言葉も大抵の人は味噌汁がこぼれたら慌てるのでカットしています。
親子丼が冷めたことに対して、「せっかくの」を付け足すことで残念な気持ちとちょっと気まずそうな空気まで伝わる文になります。もちろん削ればいいってものではなく、何を伝えたいか、という部分がしっかりと整理して明確にするのが大事です。とはいえ、前後の文脈やシチュエーションありきの手法なので、今回の切り取った例では伝わりきらないかもしれませんが…。
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上記の推敲したセリフからなんとなく分かっていただけたかと思いますが、描いていない部分を受け手に「描かせる」ということが大切なわけです。
僕的には、みんなが知っているであろう知識や感覚、共有している価値観や倫理観(作中で開示した情報含め)、そういったものを的確に引き出すことにより、受け手の感覚や記憶を使って、作品を受け手の中で完成させてもらう、というような、そんな感覚に近いですね。これ伝わるか?
動画では自分の作品を具体例にあげながら解説しているのですが(気になる方は動画も見てね)、その言葉の意味だけでなく、その言葉に紐付いている行動だったり雰囲気、状況、現象、感情 etc… 言葉の外に含まれている情報を的確に書くことにより初めて「描かない」という表現の仕方が成立するのだと思います。
例えば「波間」とかは海や潮の香り、砂浜、水の流れ、うねり、コントロールができない・読めない、隙間、瞬間、冷たさ、泡の白さ等、波間以上の情報が含まれています。
それらを前後の文脈やタイミングを見計らって作品内で出すことによって、波間が波間以上の意味をもつバフがかかったすごい波間になるわけです。これは逆も然りで、この情報量を見誤って適切ではない場所で使ってしまうと、文脈とのつながりが薄れて伝わりづらくなってしまうわけです。
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僕はそういったことを神経質に考えながらニコニコして楽曲制作をしたり、小説を書いたり、ゲームを作ったりしています。こわがらないでください。
今回は文字を中心にお話をしましたが、本質はどれも同じで、受け手の想像力を正しく(これが一番重要)、的確に想定して引き算をすることが、洗練された創作物を作ることに繋がるのではないかなと、そういうお話でございました。
でも、創作をしてる人っていうのは大抵足し過ぎと引き過ぎを経験してちょうどいいところに落ち着いていくと思うので、いつか「足しすぎたなぁ…」と思ったときの足しにこのブログを思い出していただければ幸いです。
それではまた、亡霊横丁のアトリエでお会いしましょう。